接客業はつらいよ! あけすけビッチかんどー日記!

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【記憶の上書き】歌っていて楽しかった思い出【長文注意】

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 歌っていて楽しかった思い出

 

※今日の記事は長文です。お時間のあるときにお付き合いください。(目安読了時間:約10分)

 

 

わたしは14年前、確かに歌手だった。

 

それは絶対に変わらない事実で、わたしが20代のときに歌を必死で学んだことも、絶対に変わらない事実だ。わたしは一生懸命に歌の世界で生きていこうと足掻いた。

 

いろんなことがあって、結果的に歌をやめてビジネスの世界に入ったけど(それもドップリとw)、人前で歌を歌っていて楽しかった思い出がたくさんあることに、今やっと気づくことができた。

 

 

クラブシンガーのお仕事

わたしは24歳~25歳までの間、六本木にあるライブバーで歌っていた。毎晩数人のシンガーが出演する。わたしはそのうちの一人としてオーディションをくぐり抜け、約3か月の訓練期間を経てステージデビューした。一人だけステージに立ってソロで歌うこともあるけれど、基本、2人~3人がステージに立って、メインボーカルとコーラス、という構成だった。 音はオケを流して、ギターのみ生演奏。一応ダンスもあった。

 

わたしはメインで歌うに堪えるだけの歌唱力はない状態での採用だった。しかしわたしには強力な武器があった。コーラスだ。

 

わたしは曲を聴いてコーラスラインを拾う(あるいは付ける)のが早く、そして柔軟なコーラスをすることができた。柔軟なコーラスというのは、メインボーカルがフェイクを入れたらそこは自分は歌わないようにしたり、メインボーカルが歌詞すっぽ抜けてしまったときにさりげなく自分がメインの旋律に切り替えて歌が途切れないようにする、など。

 

コーラスメンバーはシンガー同士で話し合って決めていたのだが、わたしはよく使ってもらえた。(1日4ステージで、1ステージ10曲くらいやっていたけど、わたしがメインで歌うのは1ステージで1曲とかだった。でも、コーラスとしてステージの上に立っている時間は誰より長かった)

 

ビージーズメドレー、ビーチボーイズメドレー、アースの曲など、コーラスを取っていて楽しかった曲がたくさんあった。

 

わたしがそのクラブでメインボーカルとして歌っていたのは、ロネッツの「Be My Baby」と、バリー・マニロウの「コパカバーナ」、ビリー・ジョエルの「Honesty」「Stranger」、あとなぜかロッド・スチュアートの「Sailing」「I'm sexy」などだったw(たぶんリズムの取り方がオモテだったので、ウラで取らないと決まらない曲がもらえなかったのだと思う。今になってわかった)エルトン・ジョンやクラプトンも歌ったなあ。

 

自分がメインで歌っている間は、その曲が流行っていた時代の空気をそのまま持ってきたい! という願いだけを胸に抱いていた。自分がうまいとか下手はどうでもよくて、聴いている人の心がその時代にトリップして、楽しかったり切なかったりする思い出を引き出せたなら、それがわたしの幸せだった。

 

コーラスとして歌っているときは、全体のバランスの中で声を出したり引いたりすること、そして突然のアクシデント(メインボーカルがトイレ行っちゃって不在のままオケが流れたとかw)に対応できるように全部の曲の歌詞を頭に叩き込んでおくことに専念していた。実際にそれが役立ったことは2回くらいあったが、その2回は、はからずもいつもコーラスを取っている曲をメインで歌えたので、貴重な経験だった。

 

土壇場に強い人でありたいという願いで、わたしはそういうスタンスを取り続けていた。

 

そのクラブは音楽好きのお客さんが多かった。たくさんファンのいるシンガーもいた。わたしは個性派だったけれど、それでも応援してくれるお客さんはいて、それはとても強い励みになった。

 

お店の常連さんから、海外アーティストのライブに連れて行っていただいたこともあった。ケントス(オールディーズの生演奏を毎日やっているライブハウス)に連れて行ってもらったり、大変なこともあったけれど、カラフルな毎日だった。

 

一番嬉しかったのは、かなりの良席でフィリップ・ベイリー(Earth Wind & Fireのボーカル)のライブを観ることができたこと。そこでのクラブシンガーの仕事は、ギャラが未払いになり、やがてクラブがつぶれてしまったことで終わってしまったけれど、良い経験になったと思っている。

 

 

ボイトレの先生との出会い

上記で書いたように、わたしはクラブシンガーになることができた。それは、あるボイトレの先生のおかげだった。

 

当時、千葉の柏に住んでいたわたしは、近所でボイトレをやっている先生のところへ行き、習い始めた。最初はド素人の状態。洋楽? 何それ? 状態。ビートルズくらいは知っていたけど。もう22歳を過ぎていた。音楽経験は、素人バンドを転々と2年くらいやっていただけ。

 

「英語の歌とか、歌ってみたいんですけど……」

 

こんな会話からレッスンがスタートした。先生(W先生とする、男性の先生で、当時40代半ばだった)が用意してくれた「英語の歌」は、スティービーワンダーやロバータ・フラックといったものだった。英語の発音を覚えながら、どうやって英語の歌を歌うのか覚えながら、とにかく手探りで歌った。

 

W先生は、グルーヴィーで独特のリズム感で歌う人だ。ジャズもフュージョンもブルースもロックもなんでもござれ。音域もめちゃくちゃに広くて、小柄なのに体全体からソウルフルに歌う。W先生の歌にわたしは魅了された。(こんな歌い方があるのか……と放心した)

 

W先生のレッスンはある種の熱を持っていて、そこで歌っていると、自分がどんどん歌の世界に没頭していくのがはっきりとわかった。発声練習もめちゃくちゃきつい。スタッカートで息をたくさん使う音階をしているときは、何度も倒れそうになった。

 

W先生は、わたしが本気でやっていることをわかってくれ、音感が良いことを発見してくれた。そして、わたしを「表の世界で歌える人」にしてくれようと、かなり本気でレッスンをしてくれた。1年後にはW先生主催の発表会ライブに出て歌ったり、地元の音楽好きな人との人間関係も広げて、つなげてくれた。友達もできた。

 

さらに半年ほどレッスンを続けていると、声が脳天、胸、からだ全体から突き抜けるようになっていった。わたしはW先生のレッスンで習ったことを、レッスンが無い日もほとんど毎日していたので、1年半で「使える声」が出せるようになった。からだで歌う、という感覚を掴んだのがこの時。歌える洋楽レパートリーもかなり増え、寝る時間以外ずっとCDばかり聴いていた。偏ってはいるけれど、いろんな曲に触れることができて幸せだった。ジャズもポップスもUKロックも好きだったけど、歌うのはオールディーズに絞った。

 

そして、その頃からわたしは「テレビに出る歌手」ではなく、「クラブシンガー」すなわち、毎日お客さんの前で歌う歌手を目指すようになった。理由は、そっちの方がずっとやれるから。歳を取っても、ずっと続けたかったから。あとは歌いたい曲がたくさんあったから。

 

クラブシンガーのオーディションをいくつも受けた。そのたびにW先生は特訓のように歌をきっちり見てくれて、レッスンの時間をオーバーしていても、みっちりとレッスンしてくれた。

 

そしてオーディションに受かって、クラブシンガーになれたとき、W先生はすごく喜んでくれた。「やったな! プロじゃん!」と言ってくれたのは、今でも忘れられない。

 

 

クラブシンガーを始めた頃、W先生はわたしを地元のバンドにも紹介してくれた。大所帯の完全生バンドで、コーラスとしての参加だったが、演奏レベルが非常に高かったので、ついていくのが大変だった。コーラスで入っていたもう一人の方の歌唱力がめちゃくちゃに高く、負けず嫌いを発動して練習に拍車がかかった。(そのバンドはもともと期間限定であったため、やがて活動は自然に終わった)

 

クラブシンガーを続けながらも、生バンドで歌うことの楽しさに目覚めたわたしは、人づてで、やはり大所帯の生バンドにコーラスで入った。東京で活動しているバンドだった。そこは地元のバンドよりさらにレベルが高く、週に二回ほど、バーやライブハウスのレギュラーをつとめていた。やっぱり、技術的についていくのがとても大変だったw 

 

それでも、メンバーと毎週会ってスタジオ、リハーサル、本番と重ねていくうちに、わたしがメインで歌う歌も2曲もらえた。「ロコモーション」と「I'm in the mood for Dancing」だった。(あんな高音よく歌ったな自分、一番高い音Eだぞ……)

 

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当時わたしのキャラは、茶髪でチャラい感じだった。(写真全部捨てたので偶然本に挟まっていたこれくらいしか無い)

 

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それで、イメージ的にこの2曲だったのだと思う。

 

深みがないというか、盛り上げ担当みたいな感じだった。わたしは歌を本当に「大事な仕事」だと思っていて、ステージ上での体調・メンタルの安定度はハンパなかった。しかし、歌に感情を込める、とかがとにかく下手だった。音程! リズム! 他の人の声よく聴く! みたいな「歌うマシン」になろうとしていたフシがある。

 

メインボーカルの女性は、歌に深みがあって、ボイストレーナーもしていて妖艶な方だった。情感たっぷりに歌う彼女の歌は魅力的だった。彼女のレパートリーはめちゃくちゃに多くて、いろんな曲をやっていた。有名どころの60年代~80年代洋楽がほとんどだった。うまい人のコーラスって大変。曲数も多いし、もう、めちゃくちゃ大変。そのバンドでは、コーラスはわたし一人だったので、「まだ覚えてません」は通用しなかった。(前のコーラスの人が辞めたから入ったんだけど、キツかったんだろうと思うw)

 

その間もずっとW先生のレッスンを受けていた。

 

悩み、迷い、バンド内でうまくいかない時も、W先生に話すことでほとんどの悩みを乗り越えることができていた。W先生主催で小さなライブハウスで、ゲストシンガーとして歌ったり、W先生のライブに、スタッフのような形でついていったりしていた。毎日が音楽漬けだった。

 

W先生はどんな体調の時でも、絶対に歌うことをあきらめない人だった。

 

高熱で声が「ヒィ」みたいにしか出ないときでさえ、予定していたライブハウスに行き、ピアノの前に座って歌った。ピアノのアドリブと、なんとか出る中音域の歌で曲のグルーヴを出し、鬼気迫る迫力で一曲一曲、やりきっていった。ライブハウスは異様な熱気に満ち、観客は取り憑かれたようにステージをみていた。わたしも魂を抜かれたようになっていた。ある曲で、まったく出ていない高音が、W先生の体から発せられる見えない力で、空から降って来たような感覚になり、曲はうねるようにグルーヴを描き続けていた。

 

 

奇跡を見たような気持ちになった。

 

 

その日のW先生は、いつもと同じだけの曲数をやりきった。わたしが音楽=生の音と声を目の前の人に届けたいと強く思うのは、このときの体験があるからだと思う。やっぱりね、目の前の人の心が歌に向いてくれるその一瞬が嬉しくて、いとおしいんだ。そして、わたしも音楽の神様に愛されて、いつの日か奇跡を起こしたいと思っている。

 

 

そんな体験もあったけれど、わたしはライブバーのギャラ未払い事件や某事務所との揉め事、重なり続けるアンラッキーに耐えるだけの精神を持っていなかった。そして、勝手に精神を病んで勝手に音楽を憎み、W先生のレッスンもフェードアウトするようにやめてしまった。

 

 

 

そして、12年の時が流れた。

 

 

 

W先生との再会

さて、そんなW先生。最近音楽を再開したので調べてみると、なんとまだバリバリの現役! ストリートやライブハウス、地元のお祭りなどでガッツリ歌っていた。

 

 

12年間ずっと、歌い続けていた。

 

 

ボイストレーニングも続けていた。場所も変わらず、歌を楽しみたい層からプロ志向まで幅広く教えているのも変わっていなかった。

 

わたしは、自分が音楽の世界へ戻る儀式として、そして元の声を取り戻すために、W先生とコンタクトを取り、ボイストレーニングを受けることにした。

 

 

感動の再会……になるかなと思ったのですが、お互い表層的には「チャラい」感じなので、そのあたりは「ノリの良い」再会という感じになったw

 

W先生はわたしの今の状況を感知するのが早かった。わたしの見た目、話す声からすべてを察してくれた。(ギターの弾き語りを習いたいということだけは前もってメールで伝えておいた)

 

再会から30秒で先生はレッスン体勢に入った。W先生のレッスンは1秒も無駄がない。これは出会った頃から変わらない。「歌を強くしたい」という芯がブレない。

 

レッスン開始から発声練習までのW先生の言葉は、わたしを12年前に引き戻した。 

 

「これからは弾き語りをやっていくんだね?」

「よし、じゃあギターを準備して。俺もギター持ってきてるから」

「(ピアノを鳴らし)準備しながらでいいから、ハミングからいこう、出しやすいところから行くよ(中音域の和音を鳴らす、発声練習開始)」

 

「(ギター)準備できたね、そしたらしっかり立って、高音出していくよ」

「C♯、ここが地声との切り替わりだな。覚えておいて、ここ重要な音だから」

「裏声に切り替えよう。うん、出るね。F♯、安定しなくなるから覚えておいて」

「戻るよ、C♯、鼻に当たってるのを感じられる?」

「もう一回上がるよ、F♯、眉間から抜けてるのを感じられる?」

 

 

あっという間に声出しの特訓状態になっていた。その後ももっと高音まで出し切ったり、絶対出ないであろう低音もW先生のアドバイスで「もしかしたら出るかも」というところまで行けた。手元のメモには自分の音域と苦手な音、練習すべき音階が刻まれた。明日からこれを毎日すれば良いと思ったら、ぐっとお腹に力が入った。

 

その後、W先生もわたしもギターを持った状態で、弾き語りのノウハウを教えてもらった。ギターを誰かに習うのは初めてだ。W先生はわたしの知らない弾き方のパターンを教えてくれた。

 

わたしは弾き語りでは、ギターはコードを弾いておけば大丈夫と思っていたけど、そうじゃない。音楽をやるのだったら、ギターもより知っておくと美しい和音が鳴る。W先生の弾くギターは、W先生の歌を面白く、楽しく、深くするものだった。わたしもわたしの歌を彩ってくれるギターを弾こう、と思えた。

 

知らなかった音の重なりに身を任せ、ただただ6本の弦の音に耳を澄ませて、少し慣れたら歌を乗せていく。慣れ親しんだ歌、12年前はボーカル一本でレッスンを受けてきたけれど、今はギターを鳴らしながらの歌に変わっている。人は変われる。そんなことをぼんやり思いながら、集中の糸を切らさないようにした。

 

たった1時間だったが、声も抜けるようになったし、弾き語りでわたしがやりたいスタイルをあぶり出してくれたレッスンだった。

 

W先生の弾き方を100%真似はしないけれど、取り入れたいエッセンスがあった。手元のメモには歌とギターのノウハウがいっぱい書かれていた。先生は「またライブとか観にきてよ」と軽く言ってくれた。日本にいる間に先生の歌を聴く機会を作りたい。

 

 

この日は、W先生が今でも元気で歌っていることに勇気づけられた。(合間合間で近況や共通の知人の話をしたのだけど、W先生もいろいろあったみたいだ。ここは省略する)

 

 

たくさんのありがとう

わたしを音楽の世界にもう一度戻してくれたのは、「ギター弾きたいなあ」と言ったときにすぐ「使ってないギターがあるから、あげるよ」と言ってくれた方。そしてそのすぐ後に、もう一人わたしにギターをくれた方。このお二人がいなかったら、わたしはギターを毎日弾くことができなかった。本当にありがとう。

 

このお二人は、それぞれわたしの歌う場所まで作ってくれた。一人は音楽好きが集まるスナックみたいなお店で、人前で歌うということを、2月に経験させてくれた。もう一人は、ギターが置いてあるカフェでアコギを借りて、交代でギターを弾いたり歌ったりして遊んでくれた。ほかのお客さんもいるので、若干だが見られる。そういうゆるい「人前」にどんどん連れ出してくれた。

 

 

あとは、一度ちゃんと歌を録ってみようよと言ってくれた方。何の得にもならないだろうに、音楽の話をたくさんしてくれて、わたしを音楽の世界にぐいっと引っ張ってくれた。ギターの練習ばかりしていて歌がおろそかになっていることに気づかせてくれた。

 

録音をして、それを聴き返す作業はものすごく勉強になった。そして、ライブではなく録音して歌を残すということが、想像以上に難しく、そして音をよく聴くきっかけとなった。(生歌ライブでも、盛り上がりや雰囲気だけではなく、一音一音に気を配り、丁寧に歌っていくつもりだ)そして、練習すれば絶対にいい歌が歌える! と自信を持たせてくれた。

 

 

最後に、W先生。

 

 

勝手にやめていったわたしに、12年間の空白なんて無かったかのように、一週間前に来た生徒に接するようにレッスンしてくれて、ありがとうございました。

 

先生がわたしをプロにしてくれた。これからは、わたしの歌う場所を自分で見つけて、もう一回プロとして歌っていく。 いつか、どこかの国で。日本の街角で。先生とばったり会って一緒に歌うことができたら嬉しいな。

 

肩の力を抜いて、いろんな人と関わっていきたい。

 

 

わたしは、音楽が大好きだ。

 

音楽が好きな人が大好きだ。

 

 

もう、ひねくれた自分には絶対に戻らない。約束する。だから今繋がっている人たちと、これからもずっとずっと繋がっていたい。

 

これはわたしの願いだ。

 

セブへ行ったら、BGMみたいに流れる音楽としてのクラブシンガーをまず目指す。

 

それまでに、洋楽カバーを最低20曲。見ながらなら歌えるカバーを30曲。50曲持った状態でいかなきゃと思ってる。それとは別で、自分のオリジナルソングも作っていく。

 

 

仕事以外でこれやるの大変じゃない!? と思われるかもしれないが、そんなことは無いのである。ギターと歌を毎日するのはもはや習慣だ。

 

曲作りに関しては、まだ素人だが、メロディは突然降ってくるので、スマホに録音しておいて、まとまった時間が取れたときに曲の構成に仕上げていく。移動中にちょっと詞を考えたりすることができる。意外とコマ切れでできることはある。(ブログの更新と同じで、仕事中にネタを思いついてメモする、とかそんな感じである)

 

 

今、歌もギターも洋楽カバーもオリジナルも、全部楽しい!

 

 

わたしは音楽の神様を信じているのだけれど、真摯に音楽をするから、わたしの命尽きるまで、どうか見守っていてほしい。ビジネスの神様にもお願いしているので、欲張りだってわかってるけど。でも、12年我慢したから、どうかあともう一度だけ、ステージの上に立ち続ける生活をさせてほしい。

 

わたしは、ステージに立ちたい。

 

ごまかしのない完成度を用意しておいて、その上でステージ上で柔軟な動きができるクラブシンガーになりたい。楽しくやりたいのだ。

 

 

もう、めちゃくちゃ大風呂敷広げるけど、わたしの最終目的は「ボーカリストが歌いやすいように弾けるギタリスト」だ。コーラスも取りつつ、たまには自分で歌いつつしながら、ギターをきれいに鳴らせる人間になりたい。

 

 

そこに到達するまでの間は、自分で弾いて自分で歌う人であろうと思う。ぶっちゃけ、わたしが音感を取り戻せたのはギターを持つようになったからだ。今、すべての音が味方してくれているような不思議な感覚がある。歌一本でもやる機会があればやる。でも基本はギターを持ちながら歌うつもりだ。音が気持ちいいから。

 

 

 

長文におつきあいいただき、ありがとうございました! 今日は8千文字書いているので、最後まで読めた方はかなり少ないと思いますがw どうしても書いておきたかったので書きました!

 

 

ありがとう! それじゃあ、また明日!