接客業はつらいよ! あけすけビッチかんどー日記!

昭和のメスの生き残りとして、ぎりぎりまで足掻く35過ぎ、おんな盛り。特技は人を愛することです。継続性はございません。

昆虫食飽きた※虫の写真あります

 

 

いろいろやりましたが、昆虫食、飽きたみたいです。いい感じに虫に対して無関心になってきました。

 

 

以下、タイで撮影した虫の写真注意!!

 

 

 

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生のミルワームが売ってました。ペットのえさとして売っていることがほとんど。わたしはセブでこれを生で食べました。生だと今まで感じられなかったおいしさを味わえました。

 

 

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カオサンの屋台では、サソリを買って食べたんですが、今回もムカデは見送りました。なんていうか、ムカデの見た目がちょっときついんですよね。(お前が言うなってか!?)

 

 

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カオサンの虫屋台は、強気の値段ですが、安定したラインナップ。調味料もきっちりかけてくれるので、スナック感覚で虫を食べられます。ちなみに、迷ったらバッタかコオロギがおすすめ! ゲンゴロウは固い。カイコは独特の味がだめな人がいる。タガメは食べるところが少ないです。バッタか芋虫(竹虫)が一番です。コオロギは中くらいの大きさのときだと結構美味しい。

 

 

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プラトゥナム市場の屋台で買った虫。カオサンのより美味しかった。屋台を出してすぐ買ったから、揚げてから時間が経っていなかったのかも。プラトゥナムの屋台では、小さな小さな屋台なのに、インスタントラーメンをその場で作って「カイコラーメン」にしてお客さんに出したりしていました。(これは言わないと作ってくれないと思われる)

 

近隣で働く人の大事なたんぱく源として食べられている。そういう風景がわたしは好きだ。

 

カイコラーメンは、試しても良かったかもしれない。 

 

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今回のタイ旅行でわたしが食べたのは、コオロギと竹虫とサソリ。

 

どれも今まで食べたことがあるものだし、正直揚げ油の質で味が決まってくるなぁという感じ。やっぱり、わたし昆虫食に飽きてるんだと思う。

 

 

飽きるほど食べてないのになあ。。

 

 

いや、本気で好きだったんですよ?

 

でも何事もそういうものでしょ。

飲食店150平方メートル以下なら喫煙可ってなんなの!?

 

 

タイから帰国した。一発目に見たニュースがこれ。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

 

オカしいとしか言いようがない。

 

海外で「室内なのに煙モクモク」してるの見たことないぞ。。わたしが行った国だけなので、6か国くらいしかないけど。結局、吸う人にとって得なように世の中が回ってしまっている。煙を流した方の勝ち。すいませんって言いながら「吸いません」にはならないんだよね。

 

吸わない人、特に妊娠の可能性がある人とか、嫌だと思うよ。。女性の管理職をどうこうとか、子どもを増やすとか、そういうのすべて、悪しき慣習から変えていかないとダメだよ。

 

 

 

やっぱり、日本に住み続ける選択肢は無いなと改めて思いました。

 

 

日本の好きなところはあるけれど、それは海外にいても楽しめる。たとえば桜の時期にだけ日本に戻ってくればいいし、着物の着付けやお茶は海外にいても現地で着たり集まりに参加すれば楽しめるし。

 

そもそも日本にいても月に1度歌舞伎を見ているというわけでもないので、日本がどうなっていくのか、わたしは離れたところから見ようと思います。たぶん、20代の頃働きすぎちゃったのかもしれない。自分が悪くないのに謝らなきゃならなかったり、首になったりしてきて、理不尽なことに耐え続けてきたけどもう嫌になっちゃった。

 

 

海外でも理不尽はあると思うし、嫌なことはあると思うけど、現時点で日本より快適に住めそうなのでそうしようと思います。

 

少なくとも、タバコを吸うならテラス席にしましょうよ。

 

テラス席は喫煙OK、ペット同伴OKとかっていうのは、理解できるので。あるいは「喫煙カフェ」みたいにもう「喫煙できること」を売りにしたお店を愛好家が作るとか。(J〇さんとか〇Tさんとかそのあたりの会社が作ればいいと思うw)

 

「喫煙居酒屋」とかもアリだと思う。ものすごく換気が良くて、焼肉屋さんみたいにガーッと空気清浄してくれる設備を入れて。

 

 

とにかくもう、思考停止状態の日本を見て心が冷え冷えとしています。

 

あと日本寒いです。どうにかなんないの。

 

 

わたしの事実婚は実は、結婚という「賭け」から逃げた結果かもしれない

 

 

結婚は賭けだ。

 

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そして、努力の積み重ねで家族の体をなしつづける、形のないエネルギーの集合体だ。「家族」という形があるようで、実はとてももろかったり、結婚とはとても不思議な制度だ。

 

いくつかの家族を身近で見ているが、仲の良いところもあれば当然、そうではないところもある。完全に冷え切ってしまっている家族もいる。そういう家族はどこか空虚で、もう家族の形をなすだけで精一杯になってしまっている。みんな窮屈そうで息苦しそうで、別の場所で自由に呼吸しようと「居場所探し」をはじめてしまう。

 

 

 

わたしは、結婚は「賭け」だと思っている。

 

何番の馬券を買うのか。次のルーレットでは玉が何番に落ちるのか。そういうのと同じ、賭けの要素があると思っている。

 

それは「この人でいいのか」という迷いの中でぎりぎり下す決断。ある人は「子供ができたから」という半ば強制的にその賭けに人生を賭している。またある人は、人生を賭けることが怖くてしかたなく、永遠に賭けられずにいる。(結婚を求められても延ばし延ばしにしている)

 

 

わたしは、事実婚という形を取っている。

 

 

これまでわたしは「事実婚である理由」を、夫婦別姓法案が通らないから、別姓にできないのなら事実婚しか選択肢がないから事実婚なのだ、と言ってきた。ほとんどの人はそれに納得してくれるし、時には共感してくれる。(絶対に共感してもらえなさそうな人にはそもそも事実婚という言葉を出さない。事情があって……と予防線を張って話題を変える)

 

今までもこれからも、事実婚以外考えられないと思っている。今更、苗字が変わるとか戸籍がどうこうとか覚えたくもないし、それに付随する相続やらなんやらの手続きも本当に面倒で仕方がないのだ。

 

そもそも、その瞬間の自分の感情にまかせて結婚など、なぜできようか。

 

その瞬間の感情など、次の瞬間には煙のように消えてなくなっているかもしれない。明日には今日の自分がいないかもしれない。それなのになぜ、感情任せに家族など持てよう。

 

 

はしごたんというブロガーがいる。彼女は子どもを持っている人を憎んでいる。わたしは子どもを持っている人を大変そうだなあと対岸の出来事のように見ている。はたしてどちらがより子どもに対して愛を持っているのか。わたしははしごたんの方が愛が深いように思う。

 

わたしの徹底した自分の人生に対する無関心は、自分でも恐ろしいものがある。最後の最後で自分を信じていないのだと思う。自分を信じられないから、自分の人生など賭けられない。愛など刹那的なものに人生を賭すなど、狂気の沙汰だと考えている。

 

 

よって、わたしの事実婚は、結婚という「賭け」から逃げた結果なのだと思う。

 

 

世の中が夫婦別姓に向けて動こうかというときに、わたしはこうしてまた、第一線から逃げる。

 

note.mu

 

 

遅くなったが、サイボウズ青野氏の「選択的夫婦別姓に向けて国を提訴する」についてわたしの思うところを書いたところである。

 

わたしは常に、世の中がそちらを向きそうになると、ふいっとその場から目をそらし別の場所を見ているポーズを取るあまのじゃくである。性格は悪いですが、何か?