接客業はつらいよ! 人生はチキンレース! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

【2017年ラスト記事!】わたしが泥沼の状況を怖がらない理由

スポンサードリンク

 

 

はてな村を安全地帯から監視している諸君、そして、今年も踊ってしまったブログ書きのみんな、元気か。

 

わたしは今年、問題を起こさなかった。

 

 

f:id:keisolutions:20171231001733p:plain

 

 

 

われながら偉いと思う。絶望的状況、クライアントからもネットでの事件をネタにされる状況の中、前向きによくやっていると思う。しかし、わたしはタフなのではない。わたしは実は打たれ弱いし(核心を突かれたらひとたまりもない、だから核心となる部分を隠しているだけだ)、メンタルも弱い。仕事もなんとかやっているが、迷い悩み手探りエブリデイである。

 

 

しかし、わたしは泥沼の状況が怖くないという特性がある。いわゆる修羅場とか、鉢合わせとか、どうしようもない空気の会議室とかがそんなに怖くないのである。むしろそういう時こそ強いと言っていい。

 

電車が大きく揺れて人が将棋倒しになりそうなとき、とっさに「何かに捕まってください! 倒れたら危ないです!」と言いながら、近くにいるお年寄りの肩をつかんで倒れるのを防いだりできる人だ。

 

またある時は、電車内でマナー違反な行動をしている人に対して(ヘッドホンの音漏れがすごいとか、ずっと電話で喋ってるとか、食べ物をこぼしたとか)、きっちり注意することもできる。誰もしないならわたしがする。修羅場になっても構わない。注意してやめてくれる可能性の方が圧倒的に高いので、わたしは希望を込めて笑顔で注意を促す。

 

「ごめんなさい、ヘッドホンの音漏れ、結構周りも気になるくらい音が大きいかもです。少し下げていただけます?(にっこり)」とか。

 

 

わたしは危機的状況を楽しむことができる。

 

 

ちょっと説明が必要かもしれないので補足する。わたしは、平和が嫌いだ。毎日同じことをしていれば一日が終わる仕事が嫌いだ。わたしは退屈を心から忌み嫌っている。退屈は人生の時間の浪費にほかならず、退屈は人生から排斥したい。

 

そもそも、おかしいじゃないか。

 

周りがみんなニコニコ仲良しこよしで、誰のことも嫌っていなくて、そんな中でわたしだけが問題意識を抱えて「この店をもっとこうしたい!」とか「この国のここを変えたい!」と憤っている状況って、つらすぎるじゃないか。まあ、わたしの人生の大半はこんな感じなんだけど。

 

 

しかし、それがどうだ。自分も周りも修羅場のときは「ああ、お互い大変っすよね」という憐憫の情が湧くからか、わたしは孤独をまったく感じない。

 

結果、修羅場、特別な状況はわたしを興奮させる。わたしをわたしに戻してくれる。だから誰かと修羅場になっていても、表面的には焦っているように見えるかもしれないが、実はわたしは非常に冷静に、その状況を楽しんでいるのである。

 

 

性格に問題があるのはわかっている。

 

 

しかし、わたしは世の中って切磋琢磨、人と人がぶつかり合って形成されるものだと思っている。つまり、軋轢は人を人らしくすると思っているのだ。

 

だからわたしは、人と人がぶつかり合っている状況って健全なんだと思っている。人と人がきちんと向き合えているのだと思っている。そもそも太古の昔から、人と人は軋轢をおこし、それの規模が大きいと歴史に残っていただけなのだと思っている。

 

 

わたしは、泥沼の状況なんてまったく怖くない。

 

それより、周りがみんなある日を境に社会主義になっていたりする方がよっぽど怖い。その考え方になったら経済は破綻しまっせ。

 

 

泥沼でも良い。みんなで苦しもう。わたしは自分が苦しくても構わない。ただ、みんながひとしく苦しみながら真実をもぎ取ろうとするその瞬間が、たまらなく「生きている!」と感じる。ただそれだけだ。

 

また明日。