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接客業はつらいよ! かんどーのよもやま日記!

趣味はスポーツクラブでグループパワーに参加することと走ることです。仕事は接客業です。しばらく下ネタは封印します。

女に生まれて、女を否定し、女であることを受け入れた話

夫婦論

 

 
こんにちは、かんどーです。
 
 
男に生まれて、女に生まれて、良かったと思えますか?   わたしは最近、自分のことをとても女らしいと実感しています。
 
 
女らしい、というのは艶っぽいとかそういうことではなく、言われたことを鵜呑みにしてしまうところが、昭和生まれの女が受けた教育がダイレクトに影響しているなと感じたのです。


同時に男の人も、成長したら家庭を守れ…という教育の呪縛に縛られている人が多いのではないかなと思いました。そんな重いものを感じたら、なかなか結婚なんて踏み切れないですよね。時代の過渡期はいつだって考え方が錯綜する。

 
 女について。今はあまり表立って言われませんが、ひと昔前、わたしの両親が結婚する頃は「結婚=嫁入り」という考えがありました。結婚したら女は姓がかわり、男の家に嫁ぎ、男の家のお墓に入るという考え方です。
 
 
わたしはこの嫁入りという感覚がどうしても好きになれず、結婚をひたすらに遠ざけてきました。両親を遠ざけた…という方が正しいかも知れません。
 
底辺高校を卒業したわたしに、母がお見合いをしろと言ってきたのですが、その重圧に耐え切れず、一人暮らしを始めました。一人で朝起きて仕事に行き、夜は夜学で勉強しました。
 
学費が月3万5千円、家賃が月5万だったので、最低でも12万は稼がなければなりませんでした。昼間の仕事をクビになりやすいわたしは、唯一の休みである日曜もアルバイトで体を動かさなければなりませんでした。バイト代が足りなくなると、日払いであること前提でバイトを探したり。1ヶ月後の振り込みを待っていたら死んでしまうから。
 
 
そうしているうちに、効率のいいバイトの情報交換をするコミュニティに属しましたが、生活はいっこうに楽になりませんでした。
 
 
結局、水商売の世界に入りました。そのほかにも、短時間でお金を稼げる仕事に就いたことは言うまでもありません。理由はいろいろあるのですが、きっかけは「日払いでお金がもらえること」でした。当時の自分を責めたりはしません。よく生き抜いた、と思うくらいです。
 
 
滅茶苦茶な生活がたたり、寝込むことも多くなりました。結果論ですが、普通に大学に行って安定した仕事に就いた方が、倒れるまで働いてクビになるループを繰り返すより生涯年収が稼げるんだな、と思いました。無理してでも士業に就く意味はあるなと。
 
 
そうしているうちに、時代の風が女性の社会進出を押し出していることに気づきました。後から考えたらこれは一人当たりの労働単価を薄めただけで、これで幸福になれるという種類の風ではなかったのですが、当時のわたしはこの風に目をつけました。
 
 
「男しかやらないような仕事に就いて、目立ってしまおう」
 
 
そんな風に考えて、光ファイバーの回線営業に走り回り始めたのです。
 
 
あの営業で、当時女は珍しかったので、本当にたくさん稼げました。夜の仕事より稼げました。このときの稼ぎが夜の仕事を超えなかったら、わたしは今でも水商売をしていたと思う。本当にあれがターニングポイントだった。
 
 
 
その後の人生は、ブログで書いている通り、通信業界で起業しました。

光ファイバーの飛び込み営業で曲がりなりにも「稼げた」という自信があったから踏み切れました。飛び込み営業を一度必死でやると、店頭での販売の仕事でもかなり応用がきくんです。

家電量販店、各種販促イベント、携帯ショップ…どんな仕事でも売るための法則があって、わたしはその法則を最初の一組接客するだけでつくることができる。これを利用しない手は無いと思ったのです。
 

世の中にはいろんな社長がいると思いますが、わたしみたいな社長がいてもいいでしょと思っています。人生、やけっぱちで生きてきたけど、自分が動くと見える世界が変わるのが面白かった。社長になると本当に高層階に行く機会が増えるのも可笑しかった。高層階から眼下に東京をみたとき、見える世界が変わると発言も考え方も変わるのだと思った。
 
 
 
 
それでも、地面に足がついてる感覚が好きなのは変わらない。高層階から見下ろすことはたしかに経験しておきたかったけれど、いつも見る世界はフラットに地面から見たい。高級ステーキより「もつ煮」という気持ち。胡蝶蘭も美しいけれど、たんぽぽや道端の雑草のようなピンクの花がかわいらしいと思う気持ち。…伝わるかな。

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さて、わたしは最近自分をとても女っぽいと思っている。

男の故郷を自分のふるさとのように思えたことがきっかけだ。縁もゆかりもない土地でも、一緒に生きている男の故郷はわたしのふるさとだと思える。この感覚は、男に身も心も預けてしまう感覚とつながっている。
 
 
わたしの根幹は、女なのだと思う。
 
 
好きな男の故郷をふるさとだと思い、男の成し遂げた仕事を誇りに思い、男が自信に満ちていると安心し、男に元気がないと励ましたくなる。
 
 
これ、まんま昭和の女じゃないか。
 
 
わたしが高校を卒業したとき、忌み嫌っていた女そのものじゃないか。どうした、わたし。
 
 
 
ここ数年、ジェンダー論に参加するのは避けていた。考えがまとまらないからだ。
 
女は家庭を出て保育園を探し回ることに疲れて、それでも仕事をして満足するものなのだろうか。
 
 
わたしは未だ答えが見えず、ただ女として男に依存しながら生き、男が導き出す最適解を自分の最適解とする癖と戦いながら生きている。
 
 
女になりきれないけど女っぽいだけの、従順じゃない飼い犬としてここにいる。
 
 
わたしが野良犬になる日は近いのかもしれない。
 
 
最近また悩んでるので、7月に台湾行ってきます。今度は中国語を少し勉強してから行くので、前回より行動範囲が広がっていると思います。

それじゃあ、また明日!
 

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