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接客業はつらいよ! かんどーのよもやま日記!

趣味はスポーツクラブでグループパワーに参加することと走ることです。仕事は接客業です。しばらく下ネタは封印します。

キョコンがスロットマシンを勝手に注文した話

 


今週のお題「バレンタインデー」




拝啓、かんどーです。


先日、この記事を読みました。感想や悪口を書く「かんそうブログ」です。

www.kansou-blog.jp


かんそうさんって、シレーっとブログ書いて、退廃的な雰囲気醸しつつも、ブログ運営は天才的にうまいと思います。ビッグキーワードでもかなり上位に来てるの知ってる。あなたすごいわ。








さて、スロットの話を読んでいたら、ある男を思い出しました。

バレンタインデーも近いし、恋の話でも書いておきましょうか。
※今日の記事は18禁です



改行


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22歳のころ。わたしはアルバイトをかけもちして生活していた。主に飲食店やコンビニだった。早朝バイトと昼バイトを組み合わせれば一日で8千円くらい稼げる。そうして、週に1~2日の休みはバンドの練習に明け暮れていた。

当時住んでいたアパートから3駅先にあるパン工場では、クリスマスケーキの時期などに短期バイトを大量に募集していた。わたしも短期バイトに応募し、昼間のアルバイトを数日だけするつもりで働いていた。毎日ひたすら続く労働には終わりがないので、短期のアルバイトはいわば気分転換のようなものだった。定期的にしているアルバイトの休みを取って、短期アルバイトを代わりに入れるのが当時のわたしにとって唯一の気分転換だった。時給で働いているので、休みを取るのは無理なことだった。


たった数日、季節商品のラインで働くつもりだったパン工場では、「女性も夜勤」の話題でもちきりになっていた。たまたまそのとき法律が変わって、女性もその工場の夜勤の仕事に就けるようになったらしい。夜勤=時給が高いのは知っていたので、少しだけ興味を持ちつつ、自分からは何も動かなかった。

 

しかし。今思えば雇用ノルマでもあったのだろうか。チーフクラスの人がしきりにわたしを夜勤の契約社員にしたがった。

「昼の時給は750円だろう? 夜なら1100円になるんだよ」

そんな風に言われた。当時のわたしにとって、1100円は魅力だった。季節商品のアルバイト最終日、わたしは人事課に連れていかれ、正式に契約社員として雇用された。



夜22時~朝5時までの仕事だった。忙しいときは朝6時とか7時まで残業できた。残業をすると、その時間分多くお金がもらえるし、マクドナルドなどのお店が開いている時間に帰れるので、朝マックを食べて帰れた。5時に帰ると開いているお店が何もないので、わたしは残業が好きだった。

22時~7時(定時は5時)まで仕事をするとして、たとえば夜中の2時や3時に休憩が取れれば、連続労働時間は4~5時間なのでがんばれる。しかし、工場の都合で、22時に出勤してすぐの、22時半~23時くらいに休憩に行くように指示を出された。

工場にはいろんな決まりがあるのだろう。夜勤者も使えるように社員食堂を開けておかなければならなかったのかもしれない。そして、余計な経費を削るため、食堂は0時半に閉まっていた。つまり、22時に勤務開始の夜勤パートも、0時までに「休憩(食事)を取った」ということにしなければならなかったのだ。


いろいろと歪な現場だった。


男性は18時~5時までの勤務が許されていた。女性は22時~5時。男性はアルバイトだから現金手渡し、女性はいろいろ引かれて振り込みだった。おなじ日数働いても、男性アルバイトは月収24万程度、女性パートは手取り14万程度だった。あきらかにアルバイトの方が稼いでいた。


何時に出勤しても、0時から7時までぶっ通しでラインを動かすことには変わりはない。人間の体は、耐えられる連続労働時間がある程度決まっている。合間に15分程度座って休めると少し回復するのだが、それがないと7時にはフラフラになってしまっていた。ちなみに、休憩欲しさにタバコを吸い始めたのはこの工場だ。

 

www.kandosaori.com

 




工場の仕事に慣れてくると、仕事は目をつぶっていてもできるようになる。頭の中は、人間関係のことがほとんどを占めるようになっていく。夜勤のパート内でも、微妙にヒエラルキーがあり、ワケありっぽい主婦層の中では確実なマウンティングが行われていた。わたしは「若い」というたった一つの理由でそのマウンティングから解放されていた。


22歳でわざわざ工場の夜勤をやる物好きは、わたしのほかにいなかったのだ。


結局、わたしは工場内での恋愛だけが救い(というか暇つぶし)になっていた。その時はすでに開通済みであったため、男性を受け入れない理由はなかった。受け入れる理由を上手に示してくれた男性には、簡単に開通を許した。



最初に開通を許したのは、巨根だった。


巨根はスロット中毒だった。暇さえあれば、みっつあるボタンを、ピッ、ピッ、ピッと押すしぐさを繰り返した。巨根は顔が縦に長く、馬のような顔をしていた。そして開けてみたら巨根だった。スロットを打っている自分をカッコイイと思っているようだった。巨根は工場の仕事がおわるとゆらゆらと体を揺らしながら、そのままスロットのお店に並ぶような奴だった。1日おきにバイトを入れたり、イベントの日は休みにしたり、スロットのために生きており、スロットのために工場のアルバイトをしていた。


休みの日は、工場の油臭い頭のままスロットのお店に並び、「さみー」とか「まだかよー」とか言いながらタバコをくわえてスロット仲間と雑談をかわし、「いい台」を選んで座り、夜の23時までずっとスロットを打っていた。(勝ったときは途中で帰るようだった)


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わたしが巨根と仲良くなったのは、休憩室で声をかけられたことがきっかけだ。

「かんどーさん、これ食べなよ」

タバコ休憩のときに、巨根が余った大福もちをくれたのだ。そこにある大福もちは、包装ミスとかそういう品ではあったが、疲れた体にこれほどありがたいものはなかった。そして、そこにある大福もちは、ヒエラルキーがある程度上の者しか食べられないものだ。上の人に好かれている巨根は自由にそれを取って食べることができるポジションだった。巨根は甘いものが好きだった。巨根といると笑顔になれた。


たぶん、唯一の若い女性ということで、だれが一番最初に開通するか、男たちの中で賭けでもしていたのだろう。巨根は根は悪いやつではなかった。ゆらゆらと体を揺らしながら流行のJ-POPを口ずさんだ。疲れていても、いつも明るかった。元気だった。あの工場では、巨根といると笑顔になれた。


また、巨根はわたしをタバコ休憩に誘ってくれるので、休憩が1回多く取れることも魅力だった。10分程度の休憩と、大福もち、それがわたしが巨根に体を許す理由だった。



巨根とつきあっている間、工場内でわたしたちは有名なカップルだった。元気な若者同士が付き合い始めた、という明るい有名さだった。巨根のような人間は、工場では結構重宝される。仕事のポジション振りで暑くて重いポジションを任されても、笑ってやりきる。体が頑丈らしく、女性パートと同じラインで作業するときには、力仕事は必ず自分が引き受ける男だった。上の者には上手に媚び、そこで得た利を下の者に上手に配分する。

巨根は巨根なりの処世術を持っていた。


巨根は酒を飲み過ぎるとよく吐いた。巨根が吐くのを見ているうちに、わたしは巨根がきらいになっていった。吐くものの色が気持ちが悪かったのだ。いや、それは後付けの理由で、単純に飽きたのだと思う。正直あそこも痛かったし。


巨根はわたしの心が離れていくのがわかっていたようで、一人暮らしのわたしの部屋に意識的に泊まりに来るようになった。会えば気持ちが変わると思ったのかもしれない。「彼女のいる状態」が楽しいらしく、巨根はわたしとの付き合いを続けたがった。しかし、巨根が寝ると枕が臭くなるので、部屋まで来ても入れないことがよくあった。スロットも、巨根も嫌いになっていた。巨根はケーキなど甘いものを買って部屋に来るが、タバコと油の臭いの巨根を絶対に部屋に入れたくなかった。


来ても、部屋に入れない日が何日か続いた。


そのうち、真昼間に宅配便でなにかが届いた。とても大きな荷物だったので、中身は何かと宅配の人にたずねた。


「スロットマシン…ですね」


わたしは受け取り拒否をした。巨根とはもう二度と口をきかなかった。付き合って2か月で、巨根と別れた。もう、巨根といても笑顔にはなれなかった。



その一部始終を見ていた、当時31歳の風俗好きな夜勤アルバイトがわたしを誘ってきた。風俗好きは巨根をよく思っておらず、わたしと付き合うことで巨根を打ち負かしたい気持ちもあったのだと思う。打算交じりの付き合いだったが、始まってみると、それはおだやかな付き合いだった。よく見るとかわいい顔をしており、思慮深くて優しい人だった。あれの大きさもちょうど良かった。大福もちを食べる権利とタバコ休憩に行く権利は、彼も持っていた。



告白の言葉が、

「付き合っても風俗には行かせてください」

だったのが今でも懐かしい。彼は友達がおらず、また、唯一仲のいい友達は30以上年の離れたおじいちゃんだったり、なかなかの変人だった。風俗の女の子とは気が合うらしく、たまにご飯を食べに行ったりしているようだった。

わたしはこの男とは、妙に割り切った付き合いができた。コミュ障っぽいところもかわいかった。気が合ったので、3か月くらい付き合った。彼はわたしを「さおりっち」と呼んだ。彼とはいい付き合いができたと思う。

彼は酔うとおならを燃やした。仰向けちんぐり返しの体勢で、後ろから手を回して火をつけたライターを尻に近づけ、彼が放屁すると、ブオォオオと炎がバーナーのように燃えた。この人はすごいと思った。やっぱり年上の人は違うなぁと感心した。





話を巨根に戻そう。


あのレベルまでスロット中毒になってしまうと、体に悪い。そして、夜勤の仕事が終わってからそのままスロットに行くので、とにかくいつも臭い。そして、スロットマシンを買って、それを人の家でやろうと考えるところが凄まじい。

そして、買って送り付ける前に一言断れと思った。体を許すところがゆるかったから、何事もゆるいと思われたのだろうか。ゆるふわな女の子だと、思われていたのだろうか。



さて、わたしの22歳のバレンタインの思い出は、巨根と一緒にTOPSのチョコレートケーキを食べたことだ。巨根はスロットを早めに切り上げてうちへやって来た。

「チョコレートケーキの中ではこれが一番うんめえから!」

とニタッと笑い、豪快に行こうぜとか何とか言いながら、四角いTOPSのチョコレートケーキを二人でつつきあおうと言った。巨根はカップルっぽいことが大好きだった。わたしは正直、食べる前にシャワーを浴びてほしかった。巨根の体からは異臭と呼んでいいレベルの油とタバコのにおいがしたからだ。その時は、バレンタインデーだからと我慢した。しかし、食べている途中で気持ちが悪くなった。少ししか食べられなかった。



あれ以来、わたしはTOPSに一度も行っていない。あのケーキもたぶん、うまく飲み込めないと思う。そう思わされるくらい、巨根との思い出はクサかったのだ。


巨根はわたしと別れたあとも、元気にスロットを打っていた。わたしと付き合っている時期に疎遠になった男友達ともすぐによりをもどし、すぐに元の生活に戻っていった。何事もなかったかのように振る舞う巨根の明るさは、あれはあれですごいと思った。


きっと巨根にとっても、ほかの男にとっても、わたしの体の上を通り過ぎたことなど、大したことではなかったのだろう。わたしは覚えていても、むこうは覚えていない。それよりスロットで最大いくら勝ったかの方をよく覚えているに違いない。


わたしはスロットはとうとう一度もやらなかった。ビッチはスロットなどやらなくても常にアドレナリンが出ているのだ。

スロットが好きな男性は、彼女に無断でスロットマシンを注文しないよう、この場を借りてお願いしたい。正直、一人でやってくれと思うシロモノだ。今日はそれだけ言いたくてこの記事を書いた。



それじゃあ、また明日!



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