接客業はつらいよ! 人生はチキンレース! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

私が小説を書く理由、書くことで得られるもの

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こんにちは、かんどーです。
今日はちょっとまじめに、「小説を書く」ことについて語ります。

 

☆☆☆


私は小説を読むことで救われてきた。具体的には坂口安吾に救われた。どん底にいるとき「堕落論」を読み、「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ」という強い言葉でもってやっと、自分が堕ちていることを認めることができたのだ。

その後坂口安吾の「いずこへ」という短編を読み、完全に開眼した。だってこの短編「私はそのころ耳を澄ますようにして生きていた」という書き出しで始まり、底辺の生活が徹底して仔細に描かれ(物語に関することはここでは割愛する)、物語が語り終えられたあとに「私は息をひそめ、耳を澄ましていた」「いずこへ? いずこへ? 私はすべてがわからなかった」で終わるのである。この読後感はちょっとしたエクスタシーだった。

それまでわからなかった世の中のことがすべて、回路として繋がった。歴史も、日本の政治も、美学も、エロも、すべてがたったひとつの道の上にあるのだと悟ったのである。ああ、そういうことかとすべてが脳内のあるべきところにしまわれていくあの感じ。

とにかくあの体験は私の人生の中で特別な瞬間だったのである。

その前後に太宰治や芥川龍之介も読んだし、一気に現代の推理小説にジャンプして宮部みゆき、東野圭吾、近藤史恵、そして綾辻行人へと行きついた。暇があれば書店に行き、気になる本を買って読んだ。坂口安吾はもう新刊を出すことはないので、新しい本の中から自分を探し出さねばならなかったのである。


不思議なことに、読書についてはなかなか「私も書いてみたい」とは思わなかった。良い意味でずっと「大切な趣味」としてそこにあってくれたのである。「読んでいる時間」は、私の人生にたくさんの人間の魂が寄り添ってくれるような、大切な時間であった。実体のある人間の友は裏切る。だけど本の世界にいる友はけして裏切らなかった。絶対に自分を裏切らないでくれる世界に逃げ込めるというのは、人が生きていく上で必要なことだと思った。

別に私は、書くことを神格化していたわけではないし、書くことを嫌っていたわけでもない。ただ、読む方が楽しかったのである。読むことに関して私は、横並びの友達を作ることもしなかった。読書仲間など特にいらなかったのである。「あの本についてどう思ったか」などを語り合う必要もなかったし、パズルを完成させるようにすべての本を読まなければいけないという強迫観念もなかった。気楽だったのだ。

その流れが変わったのは、ブログを書き始めたことである。そう、このブログだ。膨大な過去記事の量を見てもらえれば、わたしがある日を境に「書くことに狂った」ことが理解してもらえるだろう。今は淡々と更新しているが、一時期は相当な熱量で書いていたこともある。まあ昔の話だ。

自分を切り身にして発泡スチロールにパックして出す、という作業が一通り終わって、さてどうしようかと思い始めたころ、私は小説を書き始めた。小説と言ってよいのかわからないレベルから始めた。別ブログで書いたので本当にひっそりとやれた。


今私は、ある人が主宰し電子書籍として出版する短編小説本へ寄稿する原稿を書いている。毎日毎日、仕事の合間をぬって書いている。

私は小説の中で、ほんとうはこれがやってみたかった、という世界に輪郭を持たせて、あたかも本当のことであるかのように書くことが好きである。本の中で夢をかなえる、というものだ。しかし(私の小説に対する)他者からの評価を見ると、私が実際に体験したことを文章にしたもののほうが良いという。つまり「経験していないことは書けない」ということであろう。訓練して多少は「経験していないこと」も書けるようになったが、まったく経験のない、たとえば飛行機の操縦などについてはどれだけ調べても書ける気がしない。ほんの少しでいいから「気持ち」が動いた経験がないとだめなのだ。つまり、大型飛行機の運転が無理でも、せめてセスナ機を運転した経験があれば、それをふくらませてパイロットの気持ちになれる。

結果として「小説を書くこと」が私に与えたのは、膨大な人生の経験である。小説を書き始めたあの日から、わたしの行動力が格段に上がったのだ。人生における出力が最大値になった。海外に行くようになったし、行った先でもむさぼるように新しい経験をするようになった。出不精だった性格も変わった。とにかく動いている。足の筋肉が動くと脳も動くのである。歩くのでも走るのでも、とにかく動いていると脳の血流がよくなる。

私は小説を書き始めたことで、新しい人生を歩き始めることができたような気がする。「読むこと」に救われて、今度は「書くこと」に救われているのである。二度美味しい。いつか書くことに苦しめられる日が来たとしても、これだけ救ってもらっているのだから後悔しないし、そのくらいの苦労は受け入れようと覚悟を決めている。(実は今も、短編小説の締め切りが近づいており、若干苦しんではいるのである・笑)

 

では最後に、私を救ってくれた坂口安吾の短編を二本、青空文庫で紹介しよう。ご存知だと思うが、青空文庫とは著作権の切れた作品を無料で公開している場所である。最後までしっかり無料で読める。興味のある人はぜひ読んでもらいたい。

 

歴史的背景や、現実的世界でもって救われたい人におすすめ。(言葉が古いので読みにくいかもしれない。その場合は現代語に書き換えられた紙の本を買うといいです)

坂口安吾 堕落論


娼婦の世界や、底辺の世界に興味がある人におすすめ。(こちらは言葉が古くないので読みやすいです)

坂口安吾 いずこへ



wikipediaより。敬愛してやまない坂口安吾の写真である。 

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それではごきげんよう。

 

追記:ブログの雰囲気を変えたくて一人称を変えた。文体によって一人称を使い分けている人を見て素晴らしいなあと思ったのがきっかけ。該当者は自分を誇るように。