接客業はつらいよ! 人生はチキンレース! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

【深夜の】ショートパスタ怖い【過食】

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こんにちは、細長いパスタは大好きだけど、ショートパスタは食べられない、かんどーです。

 

 

 つまり、コレは大丈夫。

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だけどコレがだめなんです。いわゆるマカロニ的なショートパスタ。

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わたしは今も昔も、心が暴走している。かなりの暴走をするので自分でも手に負えない。今は心が暴走しても、体がついていかないから、もうやめようと思って寝ちゃうことが多い。寝逃げともいわれるけど、体のスイッチをオフにすれば心もオフになる。

 

だから暴走しても被害が出ない。誰も傷つけないし自分も傷つかない。

 

 

若いころ、心の暴走に体が耐えられてしまう時期があった。

そのころのわたしは、体がボロボロになるまで自分を痛めつけなければ止まれなかった。アルコールの大量摂取もそうだし、タバコもそうだし、楽しくないとわかっている場所に何度も行ってしまうこともそうだった。そうやって自分を痛めつけて、疲れ切ってしまわないと眠れないのだ。


暴走しているときは、必ず誰かを傷つける。


わざと傷つくようなことを言ったり、もののわからない人のようなふりをする。相手と反対のポジションにいることを強調して敵対心をあおったりもする。

 

 

それとは別で、わたしはたまに夜中に過食をしていた。

 

 

今はほとんどしない。理由は「めんどくさい」が「食べたい」に勝ったから。本当にただそれだけだ。つまり、極度のめんどくさがりな性格がわたしの生活から「過食」をなくしてくれた。まったく、極端な性格というのは時として互いに打ち消しあって「普通の人」にしてくれるのだから、人も足し算と引き算で成り立っているのである。

 

 

ちなみに、「仕事以外はめんどくさいことを抱えこまない」をモットーに生きるようになってから、寝つきも良くなったし、部屋も異様にきれい(というかモノが無い)し、食生活もマトモになるのだから、極度のめんどくさがりは時として人を「きわめて普通」に見せる。まったく面白いものである。

 

 

★★★

 

 

若いころ、わたしは極度のダイエットをしていた。

 

それなのに、仕事でレストランのキッチンを経験していたため、おいしいものをたくさん知っていた。作り方も当然知っていた。

 

わたしは今も昔も料理が好きだ。めんどうだからやらない時期もあるけれど、基本、料理という行為が好きなのだと思う。ただし、三食キッチリノルマ化されて「用意しなければならない」という料理は好きではない。それをやるなら月50万くらいもらわないとやりたくない。

 

わたしが好きな料理とは、自分が食べたいときに、食べたいものをつくることだ。家事ではなく趣味としての料理である。

 

たとえば、明日は仕事が休みだという日の夜、帰り道のスーパーで玉ねぎ、牛肉の切り落とし(牛脂をもらうのを忘れない)、ハヤシライスのルウを買ってきて、帰宅したら玉ねぎを刻んでじっくり炒める。牛脂を落として牛肉の切り落としを食べやすい大きさに切ったものを炒める。それをあわせたら、ブイヨンを加えた水を鍋いっぱいに入れる。しばらくアクを取りながら煮込んだら、ルウを加える。

 

ルウを加えたら弱火でコトコト煮込む。ある程度煮込んだら火を止め、その間にゆっくりお風呂に入る。

 

その後、おなかがすいたタイミングで、一度完全にさめたハヤシライスのルウに再度火を入れる。そうして適度なとろみをもったそれをごはんにかけ、いただく。

 

 

適度なコクとうまみ、玉ねぎの甘み、噛みごたえが少し残ったほろほろの牛肉。渾然一体となった、極上ハヤシライスの完成である。これは本当に至福の味である。(かつて友人に振る舞ったところ、おかわりの要望をよくいただいた。わたしもこれはおかわりして食べる)

 

 

同じことをじゃがいもの煮っころがしでもやるし、肉じゃがでもやる。和食の場合はかつおだしをキュッときかせるのがポイントだ。魚のアラ煮も、丁寧に下ごしらえして作ってやると、たまらなくおいしい。定番のぶり大根やブリの照り焼きより、わたしはアラ煮が好きである。魚の美味しい土地でキッチン付きの物件に滞在して、思う存分魚を調理してみたい欲求にかられることがある。

 

どんな料理も、味付けがうまく決まると、最高の一品となる。

 

おいしいものは、ごはんにもお酒にも合うから万能である。(ここでいう「おいしい」は、うまみ、つまりアミノ酸やイノシン酸のうまみがキッチリ感じられる完成された料理という意味である)

 

 

 

……そんなわたしだから、まあ料理って好きなわけです。目をつぶっててもそれなりのものが作れてしまう。

 

 

話を戻すと、わたしは当時極度のダイエットをしていた。そして、ダイエットのし過ぎによるストレスで、深酒もするようになっていた。ある夜、わたしは例によって家で深酒をしていた。ある一点踏み越えると意識が混沌とする。その一点を踏み越えるためだけの飲酒だった。悲しかった。

 

 

飲酒していて楽しいのなんて、最初の一口目を飲んだ瞬間と、意識が混沌としたことを察知した瞬間、そして空腹感を感じて食べ物を探している瞬間くらいのものだ。

 

ほかは何も楽しいことなんてない。

 

その日も悲しい気持ちを吹き飛ばすために、最初の一口目を楽しみ、その後は惰性だけで飲み続け、意識が混沌としてきた。もうあとは空腹感を感じて何か食べるくらいしか楽しみもない。そのとき。

 

わたしは某高級スーパー(正常位石井……とかいう名前のスーパーだったと思う)でパスタを買ってあったことを思い出した。わたしは高級スーパーが好きで、ちょと凝ったパスタソースや缶詰め、紅茶などを買うのが好きだった。その日はパスタコーナーでさまざまな形状のパスタを見ているのがおもしろく、ペンネ、コンキリエ、オレキエッテ、そしてニョッキを買ってあった。

 

ニョッキだけは調理法が異なる。(クリームソースなどと合わせて食感を楽しむのが良い)そこでわたしはペンネとコンキリエ、オレキエッテをそれぞれのゆで時間、ゆでた。

 

 

 

そこで意識が途絶えた。

 

 

 

翌朝、いつものようにもうろうとした意識の中で目を覚ました。

 

「昨日は何を食べちゃったんだろう……」

 

いつもの習慣だった。何も食べずに意識を失って倒れていたらすごくラッキー。ほんの少しだけ、小さいパン一個だけとか、アイス一個だけとかだった場合もラッキー。ポテチ一袋+アイス一個+パン……とかになってくると自己嫌悪である。カロリー計算して朝から泣かなければならない。

 

しかし、その日はいつもと違った。

 

ゴミ箱にお菓子の袋がない。何も食べていないようだった。わたしは安堵し、「昨日は何も食べなかったんだな!」と納得し、朝のコーヒーでも淹れようかと思っていた。

 

 

しかし……

 

 

流しに鍋とフライパンがあった。鍋もフライパンももう洗って伏せてあり、あとはしまうだけの状態だった。しかしフライパンはきれいに洗えておらず、赤っぽいソースがこびりついていた。

 

わたしはこの鍋とフライパンが何に使われたのかを考えた。ああ、ショートパスタだ……

 

 

わたしは自分にがっかりした。

 

 

あのショートパスタは、夜中の過食などではなく、休日の遅い昼食などに、大切に使いたいパスタだった。イカスミが練りこんであるコンキリエは、きりっと味を引き締めたトマトソースにあわせたかったし、ペンネはたっぷりのベーコンと一緒に辛みのあるアラビアータにしたかった。オレキエッテは初めて調理する食材なので、試行錯誤しつつも、魚介とあわせてすてきな一品に仕上げたいと思っていた。

 

 

どれもこれも一緒くたにして意識のない状態でただ茹でて、適当な出来合いのソースにからめて食べてしまったのだと思うけれど、そんなふうに食べたくなかった。そんな食べ方をした自分を心から情けないと思ったし、自分のことが大嫌いになった。

 

 

わたしは、その日の朝、胃の中のものをすべて吐くということをした。

 

 

 

普段は嘔吐恐怖症であり、吐くなんて基本しない。しかしそのときのわたしは、自分の「食材を冒涜したような食べ方」や深夜の過食という行動そのものに、本能的な嫌悪を感じたのである。食べてしまったショートパスタを全部吐き切ることで、その行為を「なかったこと」にしたかったのだ。胃の中のものを意識してすみずみまで吐ききったのは、あの時だけだ。あんなにきれいに胃を空っぽに出来るのだと自分でも感心した。吐くのは大嫌いだけれど、あの時だけは吐けて良かったと思えた。

 

 

それきり、調理を伴う夜間の過食はなくなった。

 

もう、調理してまで過食するのはやめよう、と思ったのだ。後で悲しくなるときの悲しみの質量が、出来合いのものを食べたときの比ではなかったから。

 

味わって食べてもらえない料理は、かなしい。

 

食材がかわいそうになってしまうのだ。

 

 

奇しくもわたしは今、飲食の仕事をすることになった。たこ焼きも作るし、ベーシックなメニューも試作で作る。

 

しかし、食材選びの段階で、ショートパスタが候補に上がってくると少しだけ「ビクッ」となる。あのとき、心を病んでいた自分が、心の空腹を満たすためだけに茹でて食べてしまったあのコンキリエを思い出してしまうのだ。

 

 

だからわたしは、ショートパスタが怖い。なんだろう、若かった頃の黒歴史の象徴のような気がしてね。この思い出も近々上書きしてしまいたいので、次回イタリアンを食べる機会があったときは、ショートパスタを頼んでみようと思う。そうして、近々自分でもマカロニを茹でたりして、ショートパスタを使ったメニューをまた作りたい。

 

ショートパスタは美味しく茹でて、合うソースと絡めると最高の一品になる。昔ジャガイモのニョッキをクリームソースで仕上げてみたことがあったが、ちょっと家庭料理の域を超えた味になった。材料にお金をかけたからだけど、あの味を家庭で出せることに感動した。

 

パスタを食べると走りたくなる。

パスタを食べると元気になる。

パスタを食べると「生きている」と実感できる。

 

 

明るい気持ちでパスタを食べられる日を、わたしは今から心待ちにしているのである。

 

 

それじゃあ、また明日!

 

 

※メモ
用意するもの  割り箸500膳