接客業はつらいよ! 人生はチキンレース! あけすけビッチかんどー日記!

接客業歴15年のかんどーが綴る、あけすけな日記。人生はチキンレースです。一歩引いた方が負け。たまに小説を書きます。お問い合わせはsaori0118ai2あっとまーくやふーめーるまで。

斉藤和義を全力で肯定したい

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こんにちは、かんどーです。

 

先にことわっておきますが、わたしは斉藤和義の大ファンとか詳しい、とかではありません。ただ、とても思い出深い方なので、今日は斉藤和義のことを書いてみます。

 

 

最近になって、ギターを始めました。同時に歌も鍛え直さなければと思い、ボイトレも再開しました。

 

歌の練習って、実はどこでもできるんです。駅のホームなどの騒がしい場所で、鼻にかけるようにハミングをして音階をとるだけでもいいし、低い声を「んー」っと首の下あたりで響かせるだけでもいい。もちろん大きな声を出して、強弱付けて歌をしっかり歌うのが一番楽しいけれど。

 

歌は昔やっていたので、勘を取り戻しつつあります。もちろん勘を取り戻すだけでなく、そこからステップアップさせなければなりません。

 

 

そして、ギター。

 

ギターを始めてもうすぐ3か月になりますが、やればやるほど課題が出てくる状態で、ものすごく楽しいです。コード譜を見れば簡単な曲は弾けるようになったけど、それだけじゃない。ここから長い道のりが始まります。

 

今、斉藤和義の「歌うたいのバラッド」を弾いています。知っている人が多いと思うけど、ものすごくいい歌です。曲が思い出せない方は動画ドゾー。

 

www.youtube.com

 

 

 

わたしが初めて斉藤和義を知ったのは、斉藤和義がデビューしたばかりの頃、です。

 

1994年、当時15歳だったわたしは「えびす温泉」という深夜のテレビ番組に釘付けになっていました。この番組は、勝ち抜きバンドバトル番組で、毎週バンドが2組出てきて音楽で対決し、勝てば次の週も出る。5週勝ち抜くとチャンピオンになってデビューできるという、登竜門的な番組でした。

 

「イカ天」と同じような感じです。アングラ版「ASAYAN」とも言えます。

 

その「えびす温泉」という番組がもう、最高に面白くてですね。毎週欠かさず見ていたわけです。この番組をきっかけに、CASCADEのファンになったし、レゲエというジャンルも知った。日本の軽めのラップ音楽も「これもいいじゃん」って思えた。

 

残念ながら一回で敗退したバンドでも未だに覚えているバンドもある。とにかくレベルが高かった。歌詞が「OH,OH」しか無いのにロカビリーとして成立しているバンドもあって、なんだこりゃ!!   と釘付けになった。

 

 

その「えびす温泉」のCMが基本的にCDのCMだったんです。流れてくるCMの中に「僕の見たビートルズはテレビの中」というタイトルの曲を気だるそうに歌っている長髪の、地味な人がいました。

  

 

それが、斉藤和義でした。(導入長ぇよw)

 

 

わたしは一発で名前を覚えました。しばらくはその曲のCMだったのですが、何か月か経つと「Rain」という曲に変わりました。「いつやむの Rain rain rain」というフレーズが頭に残って消えませんでした。

 

わたしは斉藤和義に強い興味をおぼえました。そのとき、母が部屋に入ってきて「寝なさい」といつものことを言ってきました。わたしは「えびす温泉」の日だけは起きていて良いというルールを母に納得させていたので、「今日はえびす温泉の日だ」と言いました。すると母は斉藤和義のCMを見て、

 

「気持ち悪い、暗い、髪が長くてバカみたい」

 

と言いました。

 

 

「えっ……そうなの?」

 

 

当時のわたしはそれしか言えませんでした。自我が完全に形成されておらず、自己を開示すると否定されることが多かったので、人と違う意見は内にしまっておくといういつものやり方で、わたしは斉藤和義を無視することにしました。(友達じゃねえんだぞwww)

 

 

時がたち、やっぱり音楽が好きだったわたしはバンド活動(そしてバンドメンバーと涙の初体験)を始めたり、その後はクラブシンガーをしたりしました。苦い思い出で終わらせることになってしまったけれど、この時期は充実していたんだと思います。

 

わたしは上記のリンク記事で、音楽に対する恨み節ばかり書いてきました。歌なんて二度と歌わないとか、音楽のことを話すと不愉快だとか、そんなことばかり書いてきたのですが。

 

全然そんなことなかったんです。

 

記憶をぜんぶ掘り起こしてみたら、ボイトレの先生の熱意ある指導と未来への導きもあったし、応援してくれていた人もたくさんいた。そういうすべてを記憶から消して、嫌だったことだけを文字にして、それを自分の中で定着させてしまっていました。

 

そうしないと自分が音楽に負けた気がしたから。本当は勝ち負けじゃなく、音楽の神様に愛されるよう、真摯に取り組むこと、ただそれだけでよかったのに。

 

意地っ張りなわたしは音楽を生活から徹底的に排除しました。(ボイトレの先生の優しさや、音楽をしていて楽しかった思い出は、後日記事にします)

 

 

さて、いろんな嫌な出来事が重なり、わたしはテレビとCDとCDプレイヤーを捨てました。音楽が流れてくるツールをすべて捨てたんです。タバコを吸ってのどをいじめたり、アルコールを大量に飲んでバイクで転倒して顔に傷を負ったり、最低の生活をしていました。

 

しかし、たまたまその怒りのエネルギーを仕事にぶつけることができたので、仕事はうまくいきました。販売と営業で安定して稼げるようになりました。(これは人生の財産)

 

 

 

時が経ち、「家政婦のミタ」というドラマが有名になっていました。

 

わたしはテレビを持っていなかったのですが、どこへ行ってもそのドラマの番宣が流れているので、ふうーんと思いながら観ていました。そうしたら……

 

「優しくなりたい」

 

という言葉をとても切ないメロディにのせて歌っているのが聴こえました。あ、この声は……

 

斉藤和義だった。

 

もう2011年になっていた。わたしはふと気づいた。「この人は1994年からずっと続けていたんだ……」と。その事実にえらく感動し、一枚だけ聴こう、とツタヤで斉藤和義のCDをこっそり借りた。どの曲がどうとかは掘り下げないけれど、音楽の中に1994年の斉藤和義が確かにいたし、今の斉藤和義は普遍的に人の心に刺さる音楽を作っている、そう思った。

 

もう、母が斉藤和義を見ても「気持ち悪い」とは言わないだろう。斉藤和義は、知らない間に大人気のアーティストになっていた。

 

 

 

そして今。わたしは毎日「歌うたいのバラッド」という曲をギターで弾いている。ギターの6本の弦の音の重なりの美しさと、そこに乗るボーカルラインのおもしろさを全身で味わっている。

 

心に残る歌はいつも、音楽をつくる人の試行錯誤と苦渋の決断、あるいは音楽の神様による導きで音の重なりによって奇跡を起こしているのだと思った。

 

 

斉藤和義は、続けていた。

 

きっといろんなことがあっただろうけど、続けた。この事実をわたしはただ肯定したい。続けるということは、それだけで大きな力を作るということは別の世界でわたしも体で理解できた。

 

 

「歌うたいのバラッド」の中で一番印象に残るのは、サビ前のかけあがるようなメロディ。そこに当てている歌詞がこれだ。

 

 

本当のことは
歌の中にある

 

 

とてもシンプルな歌詞だ。だけどこの部分が好きでたまらない。話が飛んで申し訳ないが、ヒステリックブルーの「春~spring~」で一番印象に残っているのも、サビ前の駆けあがるメロディに乗った「私歌が好き」という歌詞だった。

 

 

物語はいつも、サビの部分の大盛り上がりしているところより、そこへ向かう、あと一歩でそこへ手が届くその瞬間が美しいのではないかと思っている。(そして本当に伝えたいことは、歌のある部分に入れ込むのだと最近知った)

 

 

そんな音楽の織り成す美しさに、指先だけでも届けばいいなと思いながら、今日も文章を書き、ギターを練習している。(ランニングはさぼっている)

 

 

わたしは今年一年、様々な目標を立てたが、それらをすべて完遂しながら、音楽の美しい世界に指先だけでも届くこと、これも目標にしようと思った。絶対かすってみせる。そして最後にはその真実と果実を掴み取る。果実は一種類ではないから、わたしに掴める果実もあるのだ。

 

 

重ねて申し上げるが、わたしは斉藤和義を全力で肯定する。

 

 

この肯定は、実は周りの人に対する、そして自分に対する肯定につながると思っている。否定することで自分の存在をアピールしていたこのブログだが、もう否定はしたくない。肯定することですべての推進力を今の自分に欲しい。もう人生の残り時間は長くない。全力で肯定して、全力で進んでいくだけだ。否定したいものがあってもそれを自分の中に入れなければいいだけ。物事をめちゃくちゃにシンプルにしていこうと思う。

 

 

それじゃあ、また明日。

 

 

※アイキャッチがないので斉藤和義が特集されてる本の写真を貼ります。 

この表情が斉藤和義だと思ってる。異論は認める。

 

別冊カドカワ 総力特集 斉藤和義 (カドカワムック 277)

別冊カドカワ 総力特集 斉藤和義 (カドカワムック 277)