接客業はつらいよ! あけすけビッチかんどー日記!

昭和のメスの生き残りとして、ぎりぎりまで足掻く35過ぎ、おんな盛り。特技は人を愛することです。継続性はございません。

ベスパで空を飛べなかった話(さらば80kmの青春)

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今日は長文です、バイクにまつわるちょっとかなしいお話

 

ベスパをご存知でしょうか。

 

よく美容院の前に停めてある、ちょっとおしゃれなバイク。バイクと言っても、またがって乗るスポーツタイプのやつじゃなく、スクータータイプのやつ。足をそろえて乗れるやつね。

 

wikipediaから画像持ってきた。これ! 見たことあるでしょ?

 

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街乗りするなら地味目な色がいいかもしれない。ちなみに黄色のやつは50CCで、こっちの緑のやつは200CC。だから200CCはタンデム(二人乗り)シートになってるのだ。

 

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バイクは50CCまでなら「原付(原動機付自転車)」という扱いになって、車の免許があれば誰でも乗れてしまう。それ以上の排気量のバイクに乗るなら、二輪免許が必要になる。

 

二輪免許は、基本400CCのスポーツタイプのバイクを使って教習が行われる。倒れたバイクを起こしたり、細い平均台の上をバイクで通ったり、技術的なことができるようになって初めて免許が取れる。

 

わたしは教習所に通う際、先に二輪を取ってから車の免許を取るか、車の免許を取ってから二輪を取るか悩んで、相談した。そのとき二輪の教習についてかなり詳しく教えて(見せて)もらった。当時わたしは筋トレもしておらず、また、女性のバイク乗りが少ないということもあり、

 

「先に車の免許を取ったら? その後なら二輪は技能教習だけでいいし」

 

と言われて、結局車の免許を取った。それで、そのまま仕事が忙しくなったりして、結局二輪免許は取りに行かずじまい。

 

 

 

少しダークサイドに掘り下げると、実はそのときこんなことを言われた。

 

「あなた、彼氏とかいるの? バイクはメンテナンスも必要だし、男の人と一緒に乗るようじゃないと、安心して乗れないよ」

 

わたしは絶望した。また「友達がいない」ことで世界をせばめられてしまう……そんなふうに思った。とにかく、先に車の免許を取った。二輪免許は、見送った。

 

 

 

車の免許を取ってベスパに乗った

わたしは車の免許を最速で取った。試験に落ちると追加費用がかかるとのことで、集中して実技も筆記も一発合格して、ルンルンで免許を受け取った。

 

わたしは駐車場代や車の維持費が払えないので、50CCのバイクを買うことに決めていた。どこへ行くわけでもないが、とにかくバイクに乗ってしまいたかった。つまらない日常を切って走る、風になりたかったんだと思う。

 

 

わたしはバイク専門誌をたくさん読んだ。ホンダのマグナ50や、スズキのストリートマジックがほしいと思っていた。理由は、バイクっぽいからだ。50CCならなんとか取り回せるだろうと思ったのもある。何より、かっこいい。

 

しかし、いろいろ読んでいると、もう少し気軽に乗れそうなバイクもいいなと思った。当時PUFFYがCMしていたVino(ビーノ)やカブ、トモスのモペットなんかもいいなーと思った。しかしなんか違う。。しばらくバイク選びは難航した。

 

ある日、街を歩いていると、信号待ちで、世にも美しいバイクが止まっているのが見えた。そのバイクは走り出すときのエンジンの音が格別だった。50CCのバイクと思えぬ、力強く大きな低音。アナログなゆらぎと規則性を併せ持つエンジン音。ギアを一つあげるたびに、バラバラッ!!   と低音から高音へかけあがっていくエンジン音に、わたしは魅了された。あれに乗りたい。

 

確かあれは、ベスパというんだ。

 

わたしはバイク雑誌を読み漁っていたので、そのバイクがベスパであるとすぐにわかった。白いベスパは、青空によく映えていた。青い空と白いベスパがこれほどに美しいことを、わたしはそれまで知らなかった。わたしは友達がいなかったから、新しい情報もモノもなかなか入ってこない。だけどその時、自分で見つけたんだ。

 

白いベスパは、青空の下、軽快に通りを駆け抜けていった。

 

 

「あれに乗りたい」

 

 

わたしは友達もいないのに、ベスパを切望した。とにかくベスパに乗りたかった。ベスパに乗れば人生が変わると思っていた。21歳だった。

 

 

 

ベスパを、買う

偶然なのだが、住んでいたアパートの近くにベスパ専門店があった。晴れた日には青空の下にベスパだけがズラリと20台以上並んでいた! 色とりどりのベスパを見ていると幸せになれた。ベスパは飛行機メーカーさんが作ったバイクだ。見ているだけで心が空へ飛んでいきそうだった。

 

正直、ちょっと入りづらい感じのお店だった。なにせベスパ専門店だ。しかしまあ、とにかくアパートから100メートルくらいのところにそんなお店があったので、わからないことなどを聞きに行きやすいだろうと思い、何度か足を運んだ。最初はチラチラと見るだけだったが、ある日勇気を出して、50ccのベスパが欲しいと声をかけた。

 

お店の人は「誰か友達が乗ってるとか?」というわたしの胸がズキっとすることを時折聞いてくるものの、わたしが本当にベスパが好きなのが伝わったのか、それなりに親切にしてくれた。乗り方も、お店の裏にある小さな路地を使って、乗れるようになるまで講習してくれるということだった。(なぜこの年代この地域の人たちは、何かと言うとすぐに友達友達と言うのだろう)

 

わたしはお店に行ってはベスパを見て、ピンとくるベスパが現れるのを待った。いつも一人でお店に行っていた。

 

ある日、濃紺のベスパが店内でメンテナンス中であった。店員さんが調整しているそのベスパは、50ccのようだ。これだ、これがいい。

 

わたしは入荷したばかりのそのベスパを16万円くらいで買った。お金はぎりぎり足りた。その月は何かしらの支払いが滞りそうだったけれど、翌月にたくさん働いて、まとめて支払えばどうにかなる、と思った。

 

濃紺のベスパを手に入れたわたしは、早速講習を受けた。店員さんは、手慣れた様子で、

「まずエンジンかけよう。あ、ここキックしてエンジンかけるんだよ。え、かからない? もうちょい思いっきり」

と教えてくれる。正直パニックの連続だった。2つ以上の動作を同時に言われるとできない。エンジンをかけるところまではどうにかなったが、その先の「左手でクラッチバーを握って、左手のハンドルをカチッと回してギアを一速に入れる」がどうしてもできなかった。

 

何度も失敗して、バイクが前にふっとんだり、まったく扱いきれない状態だった。何度も転倒した。その日は1時間くらいそれを習って、ベスパはお店に置いて帰った。

 

また別の日に、もう一度習うことになっていた。(ふつうはその日にそのまま乗って帰るそうです。。)家でイメージトレーニングをたくさんしてから行ったので、キックでエンジンかけて、クラッチ握ってギアを一速に…というところまで、なんとかスムーズにできた。

 

次は実際に乗る練習。二速、三速…と上げていき、止まるときはギアをニュートラルに入れて、止まる。これも難しく、なかなか上手に止まれなかった。しかし何度も練習していると、なんとか乗ることができるように。

 

お店の人も「そろそろいいでしょう。一回りして、乗って帰りなよ!」と合格を出してくれたので、乗って帰ることに! もちろん、自宅にそのまま帰るのはもったいないので、軽くツーリングしてから帰ることに。次の角を左折、その次を…と考えながら走った。

 

クラクションを鳴らされ、エンストを起こし、最悪のテンションでわたしの初ツーリングは終わった。最悪の初体験のような黒歴史となった。

 

 

 

 

ちなみに、わたしがベスパに乗りたいと思うきっかけのもう1つは、この歌だった。

 

CASCADEの「さらば80kmの青春」という歌だ。わたしは勝手にこの歌を「ベスパのうた」と呼んでいる。CASCADEというバンドは、9割くらいはボーカルが歌うのだが、ときどきボーカルははけて、ギターの人が歌うことがある。この曲もそうだった。 歌詞がもう、ものすごくいい。

 

音的には、ベースラインがものすごく好きだ。動いてないフレーズがない。歌い続けているベースに心奪われた。このベースだと、ギターソロどうすんのと思うけど、うまくまとめるところがこのバンド。ドラムでレトロな音出すって、どうやってるんだ?   この曲ではボーカル参加してないけど、ボーカルの方も「ヘタウマ」路線に見せかけて、実は歌うまいっすよ。中期はテクノ仕様のCASCADEを魅せてくれるんだけど、これは初期のレトロ仕様なCASCADE。

 

 

歌詞は耳で聴きとっただけなので正確じゃないですが、一応書いときます。

 

 

 

さらば80kmの青春

ベスパを借り乗りして 夕陽から逃げてゆく 
ノスタルジーが追ってくる 海岸を這い出して
オレンジに光る坂道 構ってなんかいられない

プラスティックガンこめかみに当て 死んだふりをしてみたい
あと3秒で通り過ぎてゆく
燈台に隠れちまえばきっと見つからない
サーチライトでいくら見渡しても

 

www.youtube.com

 

 

話をベスパに戻そう。

 

結論から言うと、わたしはろくに乗りこなせないままだった。エンジンがかからなくて結局歩いて出かけることもあったし、乗ってはみたけれど、大きな道では路肩をうまく走れなかったり、怖くて止まってしまったり、散々だった。

 

車の免許は持っていても、一度も公道を車で走ったことがないし、誰かに乗せてもらったこともないので当然だったと思う。

 

わたしはベスパを、すぐに手放してしまった。パソコンがインターネットにつながらなかったときと同じくらい、寂しい気持ちでベスパを手放した。近所のベスパ屋さんにも、怖くてそれが言えなかった。

 

 

わたしはいつも、思い描くところまでは早いのだが、結局使いこなせない、乗りこなせないという結果ばかりを残して20代前半を駆け抜けた。うまくいったのは夜の仕事くらいだ。

 

 

 

時は流れ、26歳の頃だっただろうか。

 

引っ越しをして、その部屋から10キロほど離れた場所へ通勤することがきまった。その場所へは、電車だと乗り換えが2回あり、遠回りで1時間くらいかかってしまう。しかしバイクなら20分で到着できる、そんな立地だった。

 

わたしは上野に行き、ホンダのLive Dioというバイクをかった。盗まれにくいように、わざと赤紫の、おばさんが買い物に使うようなバイクにした。ただし、エンジンは2ストロークエンジンで、走り出しはすこぶる軽快だった。ベスパと違ってギア操作が無いので、わたしでも簡単に乗れた。

 

 

ライブディオとの生活は楽しかった。

 

 

気難しいベスパを乗りこなせなかったわたしは、もう男も機材も難しいものはやめよう、と思っていた。 シンプル、単純、取り回しやすい。男はそういうのがいいと思っていた。食べ物や健康にあれこれうるさい男より、牛丼を食べて「うめぇ!」と笑う単純な男がいいと思った。

 

ライブディオはまさに「牛丼男」のようなバイクだった。ガソリンさえ入れてやれば、あとは何もしなくてもエンジンは鍵を回せば百発百中でかかる。めんどくさいキックをする必要もなければ、左手でギア操作をする必要もない。ガソリンを入れる時にオイルを混ぜる必要もない。アクセルを調整して速度を上げたり下げたり、ブレーキを握ってバイクを停めるだけでいいのだ。

 

ライブディオでの通勤は1年くらい続いた。快適だった。人生で一番、乗り物が好きだったのはこの時だ。次が象である。

 

そして、勤務先が変わって、通勤にはバイクを使わなくなったころ。わたしはアルコール依存症になり、ライブディオは主に、焼酎の買い出しに使われるようになった。そして、とうとうわたしはライブディオで転倒して、大けがをした

 

 

その後わたしはライブディオを売り払い、自分で運転する乗り物は避けて、少しずつ社会復帰を果たした。

 

 

 

 

あれから10年以上経った、今。

 

わたしはやっと友達や知り合いのいる状態の人生になったので、本当は今こそベスパに乗りたい。

 

でも、バイクは不注意なわたしには本当に危ないし、車なら出張も行けるけど、バイクだと出張の荷物が積めない。そういうわけで、今は車に乗る生活をしている。

 

 

 

 

でもいつか、やっぱりベスパに乗りたい。

 

 

 

ゆるやかな坂のある田舎の小さな町を駆け抜けたいなあ…と想像してはにやけている。イメージ的にはイタリアの田舎町なのだが、わたしにはちょっとおしゃれすぎる。セブの別荘から海までの道を走る…という妄想にしておこう。そのほうがわたしらしい。気楽に乗りたい。友達を後ろに乗せて走りたい。

 

 

さらば、80キロの青春。

 

 

あのとき飛べなかったベスパで、いつか青空と白い雲、緑の草原を眺めながらゆっくり走りたい。80キロも出さなくていい。ベスパに乗って走る時間を楽しみたい、ただ、それだけなのだから。

 

 

長文におつきあいいただき、ありがとうございました。  

 

 

それじゃあ、また明日!