接客業はつらいよ! あけすけビッチかんどー日記!

昭和のメスの生き残りとして、ぎりぎりまで足掻く35過ぎ、おんな盛り。特技は人を愛することです。継続性はございません。

真っ暗な自己紹介

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今週のお題「自己紹介」

 

 

どーも、かんどーです。あたしの友人みんなこのお題書いててさ、乗るしかない、このビッグウェーブに! みたいな大きなモンじゃないけど、あたしも書いとくかって思ったわけさ。



あたしの過去の話を聞きたいかい? 過去ログ嫁



わたしは二十一で初体験をした。相手は小さなウインナーだった。小さすぎて「これは指?」と相手の男に聞いてしまったくらい。その後の自分の転落っぷりはものすごかった。あの男と初体験を済ませた夜、ぎりぎり守られていた最後の砦が決壊した音を聞いた。


決壊した砦は実は多くのものを守っていたんだと、ずっと後になってからわかった。


守れたのは、家族との絆や周りの人に「人だ」と認めてもらう権利のようなものだった。男尊女卑の強いそのコミュニティ内で、大人しくしていれば生きる権利のようなものが当時のわたしにはまだあった。


砦が決壊してしまってからは、人の言うことを一切聞かなくなった。


アルバイトひとつ取っても、研修のあるところで働けなくなった。心のどこかが壊れてしまって、人に何か教えられることが大嫌いになってしまった。特にわたしが一人前に仕事ができるようになったとき、わたしでなく「わたしを教えた人」が褒められたときに、手柄を横取りされたようなものすごく嫌な気持ちになった。


以来、わたしは人から仕事を教わることを一切しなくなった。新しい仕事を始めても「それはやったことがある」と嘘をつくようになった。調理したことのないレシピでも「作ったことがある」と言ってやりきってしまう。(わたしは調理のセンスが良くて、実際出来てしまった)

アルバイトですらそんなつっけんどんな態度を通していたので、大抵の職場で嫌われていた。クラブシンガー時代は、練習したことのある曲であれば「それは持ち歌だ、前のクラブで歌っていた」と言い張って、教わらず「できる」と言ってそのままステージに立った。


飛び込み営業の仕事あたりから、やっと「できる」と言い切ってしまう姿勢が評価された。そもそも研修制度を整えることが面倒な会社だったのだろう。

光ファイバーの営業をしていたわたしに「今度は複合機を売ってこい」とカタログだけを渡してきたときも「わかりました」以外言わずに翌日には営業に出て、見積を出すところまで持っていった。ホームページ制作の営業も同じで、SEOという言葉すら知らなかったけれど、営業しながら体に覚えさせていって、案件を成約させていった。



いまだにわたしは、人に何かを教わることが苦手だ。


教わってしまったら、いつかわたしが成功したときに、その人の方が多く賞賛を配分されるのではないかとおびえてしまう。結局誰のことも心から信じてなんていないのだ。



適度な距離をおける相手と。
共通の話題に事欠かない相手と。
いつわたしが消えても怒らない相手と。


すこし軽めのノリで会話をすることが、今のわたしの救いになっている。


今近くにいてくれているみなさん、ありがとう。



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写真は上野の美術館にあった黒電話です。

わたしはSNSの速度ではなく黒電話のなつかしさでみなさんとつながりたい。