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接客業はつらいよ! あけすけビッチかんどー日記!

昭和のメスの生き残りとして、ぎりぎりまで足掻く35過ぎ、おんな盛り。特技は人を愛することです。継続性はございません。

【朝井リョウの小説に】着物を着た変な男の思い出【出てきそう】




こんばんは、かんどーです。



ブログの毎日更新をしていると、毎日が自然とネタ探しになります。食べたもの、見たもの、考えたこと、思い出したことを書き留めるようになるのです。


今日も、普通に生きていたら思い出さないようなこと、思い出しても一瞬で忘れてしまっていたようなことを書き留めていました。


それは、ある男性のことです。



★★★ 

 


わたしは一時期、芝居をやっている人たちとの付き合いがあった。今はもう完全に疎遠になっているので書いても大丈夫。10年以上前かな。


その人たちは例外なく自意識が高く、ツイッターが今ほど流行っていなかった当時は「人の輪の中でどう個性を出すか」に心血を注いでいるような疲れる人たちだった。


当時のわたしは芝居をやっている男と付き合っていて、その男が目を輝かせながら芝居の話をするのをまぶしいふりをして眺めていた。本当はまぶしくなかった。実は軽く馬鹿にしていた。

わたしは自分自身が歌をやってて、いろいろあって挫折していたから「やりたいことをやっている」と胸を張ることがとても恥ずかしいと思っていた。

「人に求められる仕事を提供している」の方がずっとかっこいいと思っていた。その価値観が構成されていく最中につきあっていた芝居男。


芝居男は昼間の仕事をきちんとしていて、わたしはそういうところが好きだったのに、とにかく仕事については文句しか言わなかった。給料が安い、残業があった、芝居の稽古に集中したいのに……


うるせえなあと思っていた。そんなに仕事が嫌ならやめちまえよ、お前にされる仕事がかわいそうだと思っていた。しかしそう言ったところで「生活があるからやめられない」と泣き言に切り替わるだけなので言わなかった。


芝居男は芝居をしている時間、水を得た魚のようになっていた。

……いや、ほんとうは酸素呼吸だってできるのに、水呼吸しかできないんです僕、エラ呼吸なんです僕。昼間の仕事無理なんです僕。舞台の上だけが僕の居場所なんです僕、僕、僕……

 

そういう不平不満を自己顕示欲にまぎれさせて舞台の上で顔を変形させて叫んでいた。


ものすごく滑稽だった。


それでも芝居男の滑稽なところがどうにも可愛くて(実際顔も可愛いかった)、離れられずにいた。アッチの相性も最高だったしな。



ある芝居を見に行った帰り、下北沢で彼と彼の役者仲間()と食事をした。みんなひどくお金がないと言い(なぜか偉そうに「お金が無い」と言うあれはなんなんだ)、300円台でパスタが食べられる店に入った。


中学生が集まりそうな店であったが、下北沢という立地のためか、客層は「お金が無い」ことを偉そうに言う人たちばかりだった。

 

みんな偉そうに340円のナポリタンや370円のミートソースを頼んだ。わたしは390円のボンゴレを頼んだ。飲み物は当然水である。わたしは営業の仕事でそれなりに稼いでいたので、パスタくらい生パスタのおいしいお店に行きたかったが、とてもそんなことは言えなかった。


せめてポポラマーマに行きたかった。


ポポラマーマには悲しい思い出がいくつもあるので、今度それも記事にする。わたしとポポラマーマに行ったら黒歴史を5時間くらい語っていられる自信がある。いつかポポラマーマから動画配信をしたい。最後には泣きながらパスタを食べる。



話を戻そう。


その300円パスタの店に集まった人の中に、ものすごく変な男がいた。男は着物を着ていた。当時わたしの周りに着物を着ている人なんていなかったから、ものすごく珍しかった。

わたしは珍しいものにはすり寄っていく性質なので、当然その着物男に興味を持った。

着物男はボサボサの長い髪で、エレカシの宮本さんを明らかに意識していた。それでも俺は違うんだと言いたくて着物を合わせているような感じだった。さらに着物男は、フィルムカメラ(の一眼?)をずっと手に持っていた。気の向くままにシャッターを切る。ファインダーをのぞかずに、大きなカメラをひょいと気の向く方向に向けてパシャっと音を立ててシャッターを切るのだ。


わたしは瞬間的に思った。


「このカメラ、たぶんフィルム入ってない」


着物男はシャッターを切る自分、今しかない「瞬間」を切り取っている自分が好きなのだと思った。わたしは着物男の許可を得て、着物をさわらせてもらった。席が隣であったので、簡単に触れられた。着物の手触りは、男の自意識のようにざらざらとしていた。この男とセッ〇スがしたいと本気で思った。


男はわたしの顔に向けてシャッターを切った。


男なりに「自分に興味を持ってくれてありがとう」の気持ちをシャッター音であらわしたのだろう。いやだー変な顔に写ってたら恥ずかしいからやめてくださいよーと女性らしい声をあげていると、着物男は連続でシャッターを切ってきた。この会話とシャッターだけで、わたしたちはセ〇クス以上に深くつながった気がした。



わたしの彼氏、芝居男も同席していたので途中で割って入ってきた。

「ほら、着物男さん困ってるでしょ、この人変わってるんだから、かんどーはあまり関わらないの!」

そう言って着物男とわたしの席を遠ざけた。当時からわたしは淫乱だった。





芝居男のせいで着物男と関係を持つことができなかったが、着物男の自意識の過剰さと危うさは、ちょっと魅力的だった。着付けを習ってみてわかるけれど、着物って結構大変である。それを自分の生活にしみこませ、自分と同化させ、さらにクソ重いフィルムカメラを年中パシャパシャさせているのである。

あの人の生きる苦悩は相当なものだったのだと思う。


生来の変わり者か、疲れ切った凡人か。


後者だったら彼はもうこの世にいないかもしれない。そのくらい生きるのに疲れそうな人物であった。生来の変わり者であってくれと願う。今もそのまま生きていてくれ。






関係ないけど、ポポラマーマでは「ほうれん草ベーコンしょうゆ味」が好き。

 

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「和風カルボナーラの豆乳スープ」も大好き。これめちゃくちゃ美味しい。

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若いころの経験は、何物にも代えがたい。


朝井リョウの描く、2010年代の若者の苦悩も面白いが、わたしが経験した2000年代の若者の苦悩もなかなかのものだった。ネットが普及するすこし前だったので、待ち合わせがうまくいかなかったり、何時間も喫茶店で待ったりした。

あの「何もしない時間」はもうわたしたちに戻ってくることはない。


そう思うとなんだか、とてもせつない。こういうせつなさを切り取って、同年代の人に響く小説を書こうと思う。時間はたっぷりあるから、毎日書いていけばブログと同じくらいの出力で小説も書けるようになる。継続は力なりだ。書いた枚数は裏切らない。




さて、世界中の技術者は、世の中の若者からモラトリアムを奪ってしまった気がする。モラトリアムを画像加工して外に出さなきゃならないなんて、そんな時代は嫌だ。


わたしは人嫌いなのに人に愛されたくて媚びて、毎日が撃沈の連続だった若い頃の自分が好きだ。

 

ポポラマーマで黒歴史を作り続けていたあの頃の自分が、今でも大好きだ。




★今日の過去記事★

 

なんだこの記事www 

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1年前のわたし。超がんばってた。今年もブログはしっかり命込めるよ。

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着物記事もまた書きます!

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