接客業はつらいよ! あけすけビッチかんどー日記!

昭和のメスの生き残りとして、ぎりぎりまで足掻く35過ぎ、おんな盛り。特技は人を愛することです。継続性はございません。

プロットなしで小説を書くのはなぜダメなのか?

スポンサードリンク



※今日の記事は小説を書く人にしか響かない内容です



こんにちは、かんどーです。


つい最近、とても面白い体験をしました。私は趣味というかライフワークで毎日、小説を書いているのですが、これがとっても楽しいんですね。趣味だから楽しいんだろ、と言われればそれまでなのですが、楽しいのには理由がありまして…


当初私は、どんな短編であっても、いや、短編であればあるほど、プロット(下書き)を入念に書き上げてから本編を書き始めていました。そうするのが当たり前でしたし、場当たり的に書くなんてありえないと思っていました。


もちろん、場当たり的に書く場合もありますが、それは本当にシンプルなつくりの小説で、伏線なども入れず、ただ流れるような私小説スタイルの場合に限定されていました。そういう私小説的なものを書くことと、お話を書き上げることは、私の中でまったく別の作業でした。



わたしはその日も仕事後にパソコンを開き、それまで書いていた小説の続きを書き始めました。手帳サイズのノートにプロットが書いてあるのでそれを開いてパソコンの横にセットし、貼った伏線にチェックを入れて回収予定の場所にチェックを入れる、そんな、設計図通りの小説書きをいつものように始めました。


「今日はこのあたりまで書き進めよう」


そんなふうに思い、物語を、レンガを積み上げるように書いていきました。脇道にそれることなど、思いもしていませんでした。


それなのに、頭の中に全然別の風がすぅっと通り、気づいたら登場人物が勝手なことをしゃべって、勝手に場所を変え、ちゃっちゃと伏線回収して別の物語を始めちゃったんですね。。


ええーーーって思いました。この位置からあとで書き直さなきゃって、頭の片隅で思ってました。でも、面白いんです。私が。


私が読みたい小説を、私の手が書いてくれている……そんな錯覚さえ起こりました。だって、想像もしていなかった物語が紡がれていくんです。物語の中で登場人物が会話をして、友人を励ましたり、友人の孤独を癒したり、静かな空気の中でわかりあったりするんです。なんですかこの世界……


完成度が高いとはとても言えないものの、その時間がものすごく楽しかったのは事実で、あの感覚が欲しくて夜になるとパソコンを開き、自分のための時間として、小説を書きたいと思ってしまうのです。


私は小説の書き方を習ったことがありません。


本で読んだり、書いている人の話をちらっと聞いただけです。そういう人は必ずこう言います。

「プロットを綿密に書き、そこから物語を書き進めるんだ」

ずっとそのつもりだったし、そのやり方を変えるつもりなんてなかったのに。なぜ登場人物は勝手に動き出すのでしょうか? これはどういう現象なのでしょうか?

同じような経験をした方がいたら、その状態で書き上げたものがどうだったか、そのやり方はさっさとやめた方が良いのかなど、一言でも教えていただけたらと思います。


「好きに書けばいいじゃん」


って思う気持ちもあるのですが、ハムスターが同じ場所でカラカラ回るようなことをしたいわけでもなくて……


ちょっと弱気な、夜なのでした。


じゃあ、またね!