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接客業はつらいよ! かんどーのよもやま日記!

趣味はスポーツクラブでグループパワーに参加することと走ることです。仕事は接客業です。しばらく下ネタは封印します。

事務の仕事が向いてなさすぎて、営業の仕事にあこがれた話



こんにちは、かんどーです。


わたしのキャリアは高校時代のアルバイト3年間(バイト先は4つ変わっています)から始まり、夜間短大に通いながら、9時~17時の事務の仕事へと続きます。

某企業で、18歳で短大入学と同時に入社し、事務をしていました。夜間学生であることは伝えてありましたので、17時ぴったりに会社を出られることが魅力でした。


…しかし、事務の仕事がほんとうに向いていませんでした。

当初は「ケイリ」という仕事を教わって「ラクイチ」というシステムに数字を入力していく予定でした。しかし、カタカナでしか仕事の名前を理解できないレベルで仕事ができず、ミスが多すぎたため、すぐに「エイギョウジム」という仕事に回されました。机の場所はどんどん会社の中心から離れていきました。

「エイギョウジム」の仕事をしてすぐ、その会社が開発している二種類の機械の取扱説明書作成の仕事に携わりました。テキストを打つのは良いのですが、誤字脱字に自分で気づけないという欠点があり、どうにも使えない事務員でした。

そのうち、取扱説明書はエイギョウの人が自分でつくることになり、いよいよ仕事を干された感じになりました。(当時のわたしは仕事を干されるという経験がなかったため、そこまでショックではありませんでした。むしろ楽でいいとさえ思っていました)



このときわたしは、「営業」の仕事に強くあこがれました。「行ってきます!」と会社を出て、何時間かすると戻ってきて書類を作り始める仕事のバランス感がいいなと思いました。会社の電話に営業さんあての電話がかかってきて、出るときの態度でどんな電話なのか想像していました。

機械を販売していると書きましたが、コンサルの要素もあるようでした。(当時はぼんやりとしかわかっていなかったけど)クライアントが求めるものをつくれるように、工場と連携して機械の仕様を変更したり、設計図を見てどうのこうのと話をしていました。

気の優しい工場の人たちと打ち合わせをしたり、クライアントにその成果物を持って行ったり、営業の仕事が楽しそうで仕方がありませんでした。

ある営業さんは、ずっとある国への出張をしていました。今から25年以上前ですが、すでに海外と開発の連携をとっていました。素晴らしい。



それらの仕事を間近で見て、わたしは自分の仕事の意味が分からず、営業がやりたい、営業がやりたいと強く思っていました。

それを口に出してみたこともあったのですが、

「事務の仕事を希望して入ってきたのだから、まずは事務の仕事をきちんとこなして」
「女の子に務まる仕事じゃないのよ」

という意見があったのみでした。今思うと、社長に直談判すればよかったな。わたしは事務の制服よりむしろ工場の服が着たかったし、工場で何年か働いた後で営業になるのがいいと思っていました。


コピー用紙は無くなる前に補充してと何度言われても、無くなってから補充するのではなぜダメなのか? と質問をし続け、完全に嫌われたところで、ある事件が起こってわたしはその会社をやめました。人が信じられなくなるくらいショックな出来事だったので、無断欠勤からの勝手に退職コンボ決めました。(この件があってから、わたしは会う人をその場で信用しないという性格になりました)


家に電話があったみたいだけど、仕事が嫌になったからといって、翌日からべつのアルバイトをしていました。事務の仕事の時より時給も安く、長時間労働をしなければ生活が立ち行かなくなりましたが、それでも目に見える食器洗いや清掃の仕事は、事務の仕事よりやる意味がわかりやすかったです。


その後、人生迷走期に入るのですが、その迷走から立ち直らせてくれたのが「営業職への憧れ」でした。


まだまだ「女の子が営業なんて」という風潮もありましたが、何としてもやりたいからやらせてくれ! と頼み込んで完全歩合で光ファイバの飛び込み営業を始めました。

いわゆるブラックな会社で、研修一切なし、A4のトークフロー1枚渡されて「勝手に行ってこい」状態でしたが、憧れってすごいです。劣悪な環境でもなんとかやってやろうと頑張れました。毎日が戦いでしたが、毎日の戦いにギリギリ勝ち残りました。

新人が3日と持たない職場でしたが(1日でやめる人多数)、わたしは1年半働きました。それなりにつらいことはありましたが、営業の仕事がやれるという喜びだけで、大体のことを乗り切れてしまった感じです。完全歩合制になったため、個人事業主として働くやり方を覚えたときでもありました。国民健康保険・年金のシステムを理解したのもこの時。


後になって振り返ると、あの劣悪環境でも仕事で輝けたのは、「事務の仕事が向いていなかった」という事実を経験していたからだと思います。そして何より、営業の仕事(外回り)の自由な感じが大好きだったのです。あこがれた通りの生活でした。

わたしは飛び込み営業でしたが、アポも入りました。アポの時間調整のために喫茶店に入ることもよくあって、(ドトールによく行っていた)一人で作業服を着てドトールでコーヒーをすすっている時間は、なんだかオトナになったような気持ちがしたものです。ドトールでは、客先で話すことを考えたり、戦略を考えたり、地図を眺めて次の飛び込み先をどこにしようか考えたりしていました。当時はタバコを吸っていたので、煙を吸い込みながら考えをまとめていました。

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※ここまでガチな作業服ではなかったけど、実際に配線工事の現場手伝いに行くこともあった


この仕事がターニングポイントとなって、わたしのキャリアが始まった気がします。今、何の仕事をする場合もあまり怖くないのは、さまざまな経験から、仕事で命までは取られない(命が危険な場合の信号も読み取れる)ということがわかっているからです。わたしは精神的に疲弊しそうな仕事が、最初の商談の段階である程度わかります。そういう仕事は、わたしだけがやるなら請けてしまうこともありますが、会社のスタッフにさせたくないので、自分が動けない場合は請けません。

単価が高くて、一見すると良さそうな仕事であっても、その裏にある苦労や大変さを見越して、請けるかどうかを決断します。毎日がその決断になった今は、情報との戦いになってきています。



ともあれ、わたしは営業の仕事が好きです。そして、営業の仕事をきちんとやってみてわかったのが、事務の仕事の意味・意義・価値です。事務の仕事って会社を支える大切な仕事です。経理も、総務も、庶務も、営業事務も。小さい会社だとこれら全部を兼任してやることになるんだけど、本当に上手に捌かないと大変。

ウチの会社では、上記の事務に加えてデザイナー業務までしてくれているスーパーウーマンがいます。彼女のおかげで仕事が円滑に回っています。しかも宴会でもとても明るい。わたしがコミュ障なので、彼女についてきてもらったことが何度もあります。


そんな彼女もまた、過去にブラックな会社でたたき上げたキャリアがあります。そのスキルはきつい労働の下で確実に彼女の中に蓄積されて行ったのだと思います。


ベンチャーで働くとき、あるいは自分が起業するとき、結構な確率で孤独との戦いが始まります。見えない敵との戦いです。そこで戦えるかどうかは、自分の中にある「憧れ」「目的」「欲望」「守るもの」のバランスで決まります。

「守るもの」だけのために頑張れる人もいますが、わたしは「憧れ」「欲望」とちょっとだけ「守るもの」というバランス。


長くなりましたが、今している仕事がきつくても、けして無駄な時間ばかりじゃない…今日の苦労が未来の自分を助けてくれる場合もあるよ…というお話でした。


明日は、事務の仕事をしていたときに出会った「お嬢様」の話をしようかと思います。


それじゃあ、また明日!



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