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接客業はつらいよ! かんどーのよもやま日記!

趣味はスポーツクラブでグループパワーに参加することと走ることです。仕事は接客業です。しばらく下ネタは封印します。

ヨックモックの思い出

旅・ホテル・外食など



こんにちは、かんどーです。

生理前で変なことでもしたのか、ブログのPC版のシェアボタンがすべて消えていました。もしかしてわたしなりになにか考えてやったのかな。最近では自分の本心さえ、深くまで会いに行かないと知ることができなくて困る。これが大人になるっていうことなのかな。


さて、今日はヨックモックのお話です。


わたしは、ほしいものリストにヨックモックを入れています。とても好きなお菓子だからです。初めて食べたのは、「東京のおじいちゃん」に買ってもらったときだと記憶しています。

わたしは幼少期のほとんどを福岡で過ごしました。久留米という町で生まれ、その後何か所か、博多に近い町に住みました。福岡の良いところのひとつに、町と空港が近い、というのがあります。博多駅から地下鉄で2駅で、空港まで行けちゃうんです。

わたしが子どものころは、まだこの地下鉄は無かったのかな。父の運転する車で空港まで行っていました。


わたしは、小学生になると、夏休みは毎年「東京のおじいちゃん」の家で過ごしました。母方の祖父です。

福岡に住んでいるわたしが、航空会社の「お子様一人旅」というサービスを利用し、一人で飛行機に乗って東京へ行くのです。福岡空港から羽田空港まで、子どもばかり集められたシートに座って、わたしは東京へ行きました。

ADHDまっしぐらのわたしが、よく飛行機でじっとしていられたなーと不思議で仕方ないのですが、もしかして眠くなる薬でも きっと空の旅が楽しかったり、スチュワーデスさんが遊んでくれて嬉しかったのだと思います。

羽田空港につくと、いつも、おじいちゃんが迎えに来てくれていました。



おじいちゃんは、かっこいい車に乗って、おじいちゃんなのにマクドナルドなどのハイカラな食べ物が大好きでした。わたしがわがままを言ったり、落ち着きがなくても、おじいちゃんはじっとわたしを見て、ニカッ、と笑うのでした。

その時の目が、子どもの目だったんです。わたしにとっておじいちゃんは一番の友達のような感覚でした。夏になるとおじいちゃんと遊ぶのが楽しかった。おじいちゃんはわたしが何をしても怒らないし、自分のペースでおじいちゃんも遊ぶ。ほかの人の手は振りほどくわたしだけど、おじいちゃんの血管が浮いた手は、ずっとつないでいたかった。よく引っ張ったけど。



おじいちゃんは、体に悪いと言われているものでも、おいしければそれでよいという考えの人でした。おばあちゃんもいて、おばあちゃんはいろいろうるさく怒る人でした。子どもの頃のわたしは、おばあちゃんは怒るからイヤ、おじいちゃんがいい! と思っていました。


そのおじいちゃんが大好きだったのが、ヨックモックでした。

ヨックモックは、薄いクッキー生地に、薄くチョコレートがはさんである、量が少なくて高級なお菓子でした。スーパーで売っているお菓子よりぜんぜん小さいのです。その小ささ、薄さが、子ども心に「高級なお菓子だ…」とわからせてくれました。

 

ヨックモック プティサンクデリス

ヨックモック プティサンクデリス

 

 



おじいちゃんはいつも、池袋の西武でヨックモックを買って帰ります。デパートに行くとウキウキします。おじいちゃんは帰宅すると、薄くて繊細なヨックモックの個包装を開けてひとつ、まず口に入れるのでした。もむ、もむと口を動かしながら小さな幸せを味わったあとで、わたしにもくれるのです。ふだんなら待ち切れず、さきにわたしにちょうだい! と暴れるのですが、おじいちゃんの食べる姿を確認してから食べることはできるのでした。

おじいちゃんのまねをして、薄いヨックモックをもむ、もむと食べていると、クッキーの味と、甘いチョコレートの味が合わさって、口の中にすーっと溶けていきます。

その瞬間の幸せを分かち合うとき、おじいちゃんとわたしはやっぱりニカッ、と笑いあうのでした。





そんなおじいちゃんもおばあちゃんも年を取り、それなりに頑固になっていくのを見てきました。


わたしが子どもではなく社会人と呼ばれる年齢になった頃、母はわたしが定職に就いていないことを、おじいちゃんとおばあちゃんには隠すように、と言いました。どうせ深くは聞いてこないから、普通にOLをやっていると言ってほしい、年末年始くらいしか会わないのだから、罪のない嘘をついてくれ、と。

ずっと、人に言えるような仕事をしてこなかったわたしは、いろいろ説明するのも面倒だし、おじいちゃんとおばあちゃんに会うたび「普通のOLだよ」とだけロボットのように繰り返していました。

OLの仕事がわからなかったのですが、「OL進化論」という4コマ漫画の内容を少し話せば納得してくれたものでした。コピー機が壊れちゃってーとか、給湯室で同僚と話していたらーとか、まあそんな感じです。給湯室なんて本当にあるのか知らないけど、漫画に書いてあるのだから、あるのでしょう。

 

OL進化論(1) (モーニングコミックス)

OL進化論(1) (モーニングコミックス)

 

 

おじいちゃんとおばあちゃんに嘘をついたまま、わたしの20代はおわりました。親戚にも罪のない「OLだよ」を貫きました。わたしをOLということにしてくれたのは、母の優しさだったのだと思います。言わなくてもいいことを言ってしまうわたしを、上手に制して、親戚一同の中で立場が悪くならないようにしてくれていた。


そして、31歳で起業し、永田町に事務所を構え、そこへ両親を連れて行ったとき、両親は不思議そうな顔でわたしを見ていましたが、そのあと、おじいちゃんとおばあちゃんに

「さおりちゃんはね、社長になったんだよ」

と、やっと本当のことを言ってくれました。嘘をつかなくてよくなりました。経営は苦しいし、つらいことばっかりだったけど、この瞬間だけは、起業して良かったと思いました。親戚からは、それまでは何も言われなかったけれど、起業したら、

「さおりちゃんは、ひいじいちゃんの血を受け継いでいるのかもしれない」

と言われました。ひいじいちゃんも、起業していたのです。そういう話も、それまでは興味がなかったから聞かなかったけれど、自分の血のルーツを知りたくなり、いろんな話を聞きました。


その後忙しい日々が続き、年に一度しか会わないおじいちゃんおばあちゃんが、そろそろ弱ってきているという話を聞きました。そのしばらく後、二人はおなじ老人ホームに入ったと聞きました。2回、会いに行きました。


その翌年、おじいちゃんが亡くなりました。

後を追うように、すぐにおばあちゃんも亡くなりました。


ずっと会ってもいないし、会ってもそんなに話なんてしなかったのに、お葬式では本当に悲しかった。わたしのなかのおじいちゃんはいつまでもあの、ヨックモックをもむ、もむと食べるハイカラなおじいちゃんだし、おばあちゃんはいつまでも口うるさいおばあちゃんだと思い込んでいた。

でも、二人ともきちんと歳をとって、いろんなことを経験して、すごく歳をとって、すこしだけ頭が子どもにもどってしまって、天国に行った。



血縁を大切にしない、ダメなわたしだけど、父も母も精一杯、わたしのダメなところを隠して、わたしを守ってくれた。31歳で夫と出会い、やっとわたしは人に恥じない仕事をする人間になれた。



おじいちゃんとおばあちゃんのことは、思い出すと楽しい思い出しかなかった。今、わたしが池袋が大好きなのも、おじいちゃんとおばあちゃんが、よく池袋に連れていってくれたからだ。サンシャイン60の水族館、西武デパート、電車に乗ってとしまえん。

ぜんぶ楽しかった。



そして、やっぱりわたしを人間にしてくれたのは夫だったんだ。


もしも夫に出会っていなかったら、おじいちゃん、おばあちゃんに嘘をついたまま見送ったのだろうか。

きっと、嘘をついても許してくれたと思う。たまに感じる。どうしようもない苦境に見舞われたとき、大きくてあたたかい力で守られているのを。わたしは勝手に、この力の送り主はおじいちゃんだと思っている。


それじゃあ、また明日!


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