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接客業はつらいよ! かんどーのよもやま日記!

趣味はスポーツクラブでグループパワーに参加することと走ることです。仕事は接客業です。しばらく下ネタは封印します。

本を書く苦悩とわたしの考える引用の限界

電子書籍出版への道

 



こんにちは、かんどーです。


最近わたしのブログがつまんないのは、力のほとんどを本の原稿に使っているからです。こう書くと相当な時間を本に費やしているように思えるかもしれませんが、単純に多く時間を費やしているのではなく「書くためのおいしい時間」を原稿に充てている…というところです。


たとえばわたしの場合、朝コメダでモーニングを食べる時間が大好きで、その時間の静謐なコメダの雰囲気が好き。この時間がいちばん「おいしく」書けるんです。今まではこの時間にブログを書いていました。過去のことを思い出したり、ストックしてあるネタとネタをくっつけて1つの記事に仕上げたり、とにかくブログを最優先していました。(仕事の日はブログを優先にはしません。あくまで週に1~2度行けるモーニングの時間の使い方、という意味です)

しかし今は、そういう静謐な時間を見つけたら絶対に本の原稿に取り掛かります。一行でも、一節でも本に使える言葉が出てきたら嬉しいから。早く世の中に出したい気持ちでいっぱいだし、どんな本ができるのか自分でもワクワクしています。



本の原稿、書いてる時間はとっても楽しいんです。でも、後で読み返して3万文字を全部ボツにした瞬間とか、前後の脈絡がつながらなくて2万文字書き直した瞬間とか、下読みをしてもらって、言葉の使い方がおかしいと気づき、すべての置換作業にかかったりとか、とにかく労力がかかります。


そんな中でも、読んだ人に真意が伝わるようにまっすぐに文章を書き、縦と横の両方でストーリーがつながるような本にしたくて、後で回収される伏線を書いておいたり、好きな言葉が一番生きるようにその場面を盛り上げたりします。

うまくいかなかったらまた3千文字書き直したりしています。


多分こんなのは序の口で、もっと厳しく原稿に向き合っている人は、実際世の中に出ている文章の何十倍も書いているのだと思います。というか、実感せざるを得ませんでした。


ブログは一日で書ききれることがほとんどです。だから言葉の調子も一定に保ったまま書けるのです。しかし本はそうはいかない。2万文字を越えたら、一日で書ききるなんてわたしにはまず不可能。ものすごく調子がいいときにやっと、一日2万文字書けたりするけれど、それはあくまで「テキストを2万文字打った」というだけで、「原稿が2万文字仕上がった」、とはまるで違うことなのです。




ここから本題。


わたしの好きなブロガーさんが書籍を出し、次々に書評がアップされていく中で、ちょっとこれは…と思うレベルの引用をしているブログがありました。


あくまでこれはわたしの感想なのですが、あの本は、著者がしたためた「ないしょ話」を本の中でこっそり聞かせてくれる、そういう種類の本でした。読み終わったあとの読者と著者の間には、架け橋がかかっていたかもしれないし、突き放されたと感じるかもしれない。だけど確実に、ある一定の層にリーチする架け橋を著者は架けていた

その本の力は強大で、インスピレーションを受けて絵を描いた人もいれば、心の中がゆさゆさと揺さぶられた人もいる。ショッキングな描写に驚いた人もいる。



翻って、引用。



引用の定義についてはさんざん語られていますが、少々曖昧です。本の中身を説明するのに必要であるなら引用するとか、本来の約束事はこうだとか。



わたしはとてもシンプルに、あの本を読んでそこを引用するのは無粋だな…と思いました。本の中で著者は「このエピソードはブログにも書いていない」と言っていた。つまり、ここはネタバレしないでねというメッセージなんだとわたしは受け取った。もしもそのエピソードを売りにして本を売りたい、なんてことを著者が考えているなら、本のタイトルに関連語句を入れるなり、レビューにそこが書かれるように持ってくるだろう。しかしその雰囲気は無かった。だからわたしはあの本について、多くは語らない。


わたしは完全ネタバレなしの、読後感だけをレビューに書いた。「涙が出た」とか「著者と共鳴した」とかそういう、役に立たないレビューを書いた。だけど著者のメッセージを受け取った気持ちになったわたしは、どうしてもネタバレを書きたくなかった。本というのは少なからず、最初から最後まで読んだときの「全体を通した読後感」が重要で、そこに最初からネタバレが入っていると、読後感が大きく変わる。

これはわたしが映画原作本を読んだりしたときに感じたことだ。

小説が映画化されるとき、原作を先に読んでから映画を見ると、本の印象が自分の中でしっかりと形づくられていることがわかる。こんな表現をするのか…と映像が自分の想像の世界を超えると嬉しい。

しかしその逆で、映画を見て面白かったからと小説を読むと、スルスル読めるのだが、映像のイメージに引っ張られてしまい、妙に頭の中がカタイままで読み終えてしまうことがある。柔軟な想像の世界での遊びが足りない感じと言おうか…(あ、また文体うつってる…わたしほんとに好きな文章うつるんだよな…)

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そんなことがあって、わたしは本のネタバレについては正直読みたくないし、書きたくもない。好きなブロガーさんが小説を紹介していて「以下、ネタバレ」と書いてあるとそこはガーっと飛ばして小説だけ買う。これはわたしの勝手なこだわりだ。


「ネタバレ!」ときちんと明記してくれると、そこを飛ばせるからありがたい。「この本はこういう雰囲気で、○○が好きな人ならきっと好きです。登場人物は一言で言うと△△! けしてすっきりするようなお話ではありませんが、ハマる人はハマるのでは。以下ネタバレ」こんな風に書いてくれると、ここで読むのをやめて、本だけぽちってその記事は本を読み終わるまで読まないようにします。



引用やネタバレについて、わたしは線を引くことはできないけれど、もしもわたしがこのまま書き続けて本を出せたとして。一番伝えたい核心の部分を、そこだけ引用されてしまったらとても悲しい。核心の部分を書くときには、そこへ向かう道筋を何通りも考えて、何度も書き直して、何度も何度も練り直してやっと核心に続く道が開ける。そこへ印象的なエピソードを加えて、読者の頭の中に、わたしの頭の中にあるイメージがそのまま伝わるように書く。


それを、とても上手に切り取って先出しされてしまったら、正直悲しい。そんなことを考えると、書くことで消耗してしまいそうになる。一番好きなことで消耗したくない。


わたしはいつも後発だ。
誰かの背中を追いかけて、なんとか走っている。
大体の戦いは誰かがすでにしてしまった後だ。 


戦いもせず、平和で明るく楽しい人ですーみたいな顔をして生きていることが今日も哀しい。核心をきちんと文章にできる人を強いと思う、尊敬している。


せめて本の中では、こんな自分の守ってるもの全部捨てて(まあブログでもほとんど捨ててしまったが)みんな晒け出してしまいたいと思う。


今日はとりあえず思ったことを書いた。


それじゃあ、また明日!


☆今日の過去記事☆

 

 

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