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接客業はつらいよ! かんどーのよもやま日記!

趣味はスポーツクラブでグループパワーに参加することと走ることです。仕事は接客業です。しばらく下ネタは封印します。

壁が薄い部屋で心豊かに卵かけごはんを食べていた一人暮らしの話

小話・小ネタ


 

こんにちは、かんどーです。
 
 
わたしは今、マンションの一室に夫とふたりで暮らしています。夫の部屋とわたしの部屋があって、リビングと寝室がある。東京からは離れているけれど、通えないことはないし、何より今の部屋が大好きです。
 
 
今暮らしているマンションは、わたしが長い間憧れた暮らしを絵に描いたような間取りと立地なんです。
 
 
 
わたしはずっと一人暮らしをしていたから、3つ以上の部屋がある家に住んだことが無かったのです。一度でいいから、部屋がたくさんあるマンションに住んでみたい…そんなふうに思っていました。
 
 
 
夫と暮らすことになり、部屋探しをしていると、あることに気づきました。
 
 
ファミリー物件は、一人暮らしの家賃に比べて割安なんです。


 
一人暮らしの時の家賃は、最初が5万円のアパート、次が6万円のマンション(ここが呪われた物件です)、最後が都心の8万5千円のアパートでした。
 
 
どの部屋も2Kとかそんな感じでした。女の一人暮らしなので、これ以上安いところにはできませんでした。
 
 
それで、夫と暮らす部屋を探していると、一人暮らしの時より割安な賃料で、すごくいい物件がごろごろありました。
 
うちは共働きなので、単純に一人暮らしの倍出すつもりでいたわたしは拍子抜け。驚くほど割安で、広い部屋に住めるということがわかりました。(過去に同棲したことはありますが、わたしの部屋にヒモが転がり込む形ばかりで、二人で家賃を出し合った経験が無かったのです)
 
 
今わたしが夫と住んでいるマンションは、駅から近くて、エントランスがキラキラしてて(高級マンションじゃないけど清潔でエントランスに電飾がある。キラキラ〜☆)、近くに美味しいコーヒーが飲めるお店もあります。コンビニも近い。素敵な川沿いのランニングコースもあります。
 
この幸せな部屋に住んで、もう5年目になりますが、引っ越したいと思ったことがありません。旅に出たいとは思いますが、家はここがいい。
 
 
 
 
 
でも。
 
 
実は、この幸せとは違う種類の「幸せな暮らし」をしていたことがあります。
 
 
それは、一人暮らし最後の物件、都心の8万5千円のアパートです。
 
 
そこで暮らしている間に、やっぱりいろんなことがありましたが、不思議とその部屋では、わたしの心がとても静かで穏やかだったのです。今日はその頃の話を少し書きます。



☆☆☆


キャバクラの客引きをしているとき、正直羽振りがよかった。それで、思い切って家賃の高い物件に引っ越そうと思い立った。目安としては、家賃10万のところに住もうと思ったのだ。28歳、家賃10万、デキる女風でなんかいい。

そう思って部屋探しを始めたのだけれど。

日本橋やら茅場町で探していると、12万以上出さないときれいなワンルームが無い。それで、趣向を変えて門前仲町に住むことにした。理由は、東西線と都営大江戸線が使えること。ラッシュの時間は自転車で都心まで出られること。木場公園をランニングしたら気持ちが良かったこと。皇居まで走っていけること。このくらい。


それで、門前仲町の物件を探していたのだけど、なかなか無い。たまたま不動産屋で紹介された物件は、大家さんの家の3階を間借りする形の部屋で、2DKの物件だった。大家さんは「女性に住んでほしい」と思っていたようで、わたしが内見に行くとすごく歓迎してくれた。(前住んでいた男の人がタバコは吸うわ部屋は汚すわで、リフォームしなければならなかったらしい)

壁は薄いし、ドアの外の音も丸聴こえ。だけどわたしはその部屋を「いい」と思ってそこに決めた。


カーテンもつけずに、モノをほとんどおかずに、その部屋で生活した。

カーテンがないので、朝日がのぼると目が覚める。毎朝、起きるとカーテンレールの上から順番にほこりをふき取り、床をぞうきんで拭き上げ、トイレのそうじをして、洗濯機を回す。洗濯機を回している間にランニングに行った。帰宅すると洗濯が終わっているので、洗濯物を室内干しした。

たたんだ洗濯物は必ず所定の場所へ。物は絶対に増やさない。わたしの買い物と言えば、掃除に使う道具と入浴剤を買うことのみが「買い物」だった。ものすごく少ない物で暮らしていた。本は読み終えるとすぐに売り、手元に3冊以上置きたくなかった。


食べ物は野菜を細かく切ってスープを作ったり、ハヤシライスを作ったり、パスタを作ったりした。カフェやレストランのキッチンで仕事をしていた時期に覚えたレシピなので、手際もいいし味も確か。同じメーカーのソースを買って使うから味も同じ。お店の味が再現できた。
 
インスタント食品はほとんど食べず、完全に自炊して暮らしていた。料理を作りたくないときは、卵かけごはんを食べた。月に20回は卵かけごはんで夜ご飯を済ませていたと思う。(多いな…)


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卵かけご飯で夕飯を済ませて、暇になると筋トレをした。さらに暇になると近所の市営スポーツセンターに行ってエアロビクスに参加した。ランニングは毎日の習慣だった。当時のわたしは身長161センチ、体重51キロで、スポーツをしている人独特の体をしていた。肩にはがっしりとした筋肉が、腿には流れるような筋肉がきちんと付いていた。


その部屋は特別に壁が薄かった。


隣の部屋の人が何をしているか、ぜんぶわかるのだ。もちろん、ドアは別々で、3A、3Bみたいに部屋が分かれている。完全に他人だ。しかし、おのおのが何をしているかがわかるくらい壁が薄かった。絶対にセックスできない部屋だった。何回かしたけど。※この思い出は一つ一つが重すぎてまだ書けない。


隣人がくしゃみをしたために目を覚ますこともあるくらいの薄さだ。本当に、信じられないくらい壁が薄かった。


そんな部屋だけど、わたしは気に入っており、2年後に更新した。夫と結婚しなかったらもう1回更新したと思う。


なんていうか、前住んでいた部屋が呪われた部屋だっただけに、隣に人がいる安心感みたいなものがあったのだ。加えて、太陽が昇ると目を覚まし、適度な運動をして、夜はぐっすりと眠るその生活が気にいっていた。立地が最高で、交通費の出ない高時給の仕事や勤務時間の長い仕事をこなせたのも都合が良かった。


事実、その部屋に住んでいたときにしていた仕事は、すべて高給だった。これは不思議な話なのだが、「わたしは家賃が高い部屋に住んでいるから、高給を取らなきゃならない」と必死になったのだ。その結果、家電量販店の販売員でも時給がかなり高い仕事をさせてもらったし、ベンチャー企業でバリバリやっていた時もあった。ベンチャーはそこまで高給ではなかったので、夜の仕事を不定期で入れて補った。とにかく、稼ぐことに執心した。余計なことを考えずに仕事をする時期というのは、人生において必要なのかも知れない。


そのかいあって、あの部屋に住んでいた時にしていた仕事のほとんどが、結果的にわたしのスキルを大きく高めてくれた。特に「個人事業主」としての生き方と、「会社との交渉」を覚えたのが強かった。わたしはいくら以下では働かない。そのかわりこれだけの利益を出す。そういうふうに面接の段階から交渉をして、働いていた。この考え方は、のちに起業するときの交渉の原点になった。


ほとんどの仕事を完全歩合制もしくは業務委託で個人として請けていた。休みの日には自宅でオークションを使って副業をしたり、運動兼ねてポスティングのアルバイトをしていた。このアルバイトは完全に「散歩の延長」だった。ポスティングを理由に、ふだんいかない街に行ける。交通費も出してもらえる。こんな楽しいことは無かった。休日の17時から22時までは、ぜんぶポスティングのバイトを入れた。小走りで街々を走り回る自由なバイトだった。


そのうち、副業を組みあわせるだけで食べていけるようになってしまい、家電量販店の仕事を土日だけにして、あとは適当に副業をして生活し始めた。それでも月収は25万以上だった。少しずつお金をためた。空いた時間に本を読み、映画を観に行き、イオンに行って日本の中での自分の立ち位置と孤独を感じるのが日常だった。悩むとすぐに走りに出て、涙も汗と一緒に流して帰宅した。
 
あの部屋には、汚いものや余分なものを持ち帰りたくなかった。


そして、ある一定金額がたまったとき、わたしは家電量販店の仕事をやめ、青年海外協力隊に応募した。あの壁の薄い部屋から、わたしは世界へ飛び立った。



静かに卵かけご飯を食べていた夜。

テレビが無いから、本を読んでばかりだった夜。

目を覚ますのがうれしかった朝。



一人だけど一人じゃない、家賃のわりに安普請だけどわたしにはありがたかったあのアパート。



青年海外協力隊へ行っている間も家賃は払ったが、大家さんが家に異常が無いかを、たまに見てくれた。無事に帰国したら、お疲れさまと言ってくれた。
 
 
帰国後、すぐに夫と出会い、起業することになった時、大家さんに相談したら、その部屋で法人登記しても構わないと言ってくれたので、その部屋で今の会社を始めた。
 
 
幸い物が何も無かったので、オフィス机とFAXが置けた。今の会社は、あの部屋で始動した。
 
 
やがて会社に人が集まってきて、本社を永田町に移した。それと同時にわたしはあの部屋を出て、夫と住むことにした。
 
夫と暮らす部屋は想像以上に素敵な部屋になり(夫は大胆でセンスのいい家具の選び方をする)、生活の満足度は桁違いに上がった。


それでも、わたしはまだあの部屋に郷愁の念があり、あの部屋に住んでいたことを思い出すと胸がじんわり、あたたかくなる。実家を思い出すのと同じか、それ以上に思い出深い部屋だ。

いつか、短期間でいいからまたあの部屋に住んでみたいと思っている。あの部屋はわたしの人生に、パワーを与えてくれた大切な部屋だから。


それじゃあ、また明日!

 
 
 
☆今日の過去記事☆
 

 

呪われた部屋に住んでいた時の話はこちら

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 呪われた部屋エピソード

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 部屋に関係なし

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