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接客業はつらいよ! かんどーのよもやま日記!

趣味はスポーツクラブでグループパワーに参加することと走ることです。仕事は接客業です。しばらく下ネタは封印します。

「じゃマール」でバンドに入ってあそこにホニャララを入れられた話

少しえっちな記事

 

今週のお題「20歳」(こんにちは、かんどーです。エロシーンはほぼ無いですが初体験の思い出描写あり。15禁くらい?)





20歳の頃。どこもかしこも処女だった。


若者の話す早口な日本語が理解できなかった。いきなり「ウリナリ」って言われても何のことだかわからないよ。


「ウリナリミタ? チョウウケル」
「ビーズデテタヨネ。フクヤマサンチョウカッコイイー」 
「ネーカンドーサンハドウシテイマフウニナロウトシナイノ?」
「シャーナイヨコノヒトキャラナイカラ」
「ソレヨリィ、キヨウゼミデサア」


え? 今何て言った? わからない。話をしている人の口元をじっと見る。耳が聞こえているのに、言葉が理解できない。


何もかもが、ホニャララに聞こえた。(ホニャララとは、当時のクイズ番組で答えを伏せる時に使う、⚪︎⚪︎をホニャララと言い換えていた。言いにくい言葉をホニャララという文化もあった)



コミュニケーションが全然取れない時期だった。誰かゆっくりしゃべって。わたしにもわかる話をして。

心がぽつんと、いつもひとりだった。



寂しかった。



「じゃマール」という友達募集の雑誌を買った。今では信じられないかもしれないが、紙媒体の雑誌で、アルバイトの求人を募集するみたいに、個人が電話番号や住所を載せて、友達を募集する雑誌だった。一対一の友達も募集していたし、異性の友達も募集していた。サークルの募集なんかもあったと思う。文字から入りたかったわたしは、じゃマールで、友達募集を読んだ。


だけど、何を基準に友達をつくったらいいのかわからない。



よくわからないから、わりと好きな「音楽」に焦点をあててみた。そうだ、高校のとき、クラスで独特の雰囲気を持った人が、バンドをやってるといっていた。バンドってきっと友達の深い版なんだろうな。(←違います…当時の考えです)ライブを目指して練習して、ライブの後で打ち上げとかするんだよね、それがいい。わたしはバンドをやりたい。



ものすごく不純な動機で、じゃマールのバンドメンバー募集を読み漁った。



その中で、ひときわ「ゆるい」募集を見つけた。


「初心者大歓迎!    仲良くやりましょう。バンド経験者多数おります。サークルのノリです。それぞれのパートを複数名募集します。会って音合わせをしてみて、その中でバンドを編成します。そこから先はバンド単位で練習します。バンドが揃ったら半年後にみんなでライブをやります」

そういう募集だった。わたしは楽器を持っていなかったのでボーカルで応募した。


集まりには、不思議な人たちがたくさんいた。みんな、どこかはみ出しているというか、おそらく日常生活で輪の中心にはいなさそうな人たちだった。

その中では、会話が非常にゆっくりとかわされたのが印象的だった。いわゆる流行り言葉を使わない人が多かったので、聞き取りやすかった。底辺高校で茶髪ルーズソックスに混ざれずに苦しんだわたしは、聞きやすい日本語に大いに喜んだ。


初回の顔合わせで、ベース、ギター、ドラム、ボーカルそれぞれ5人くらいずつ集まっていた。主催者は大きなスタジオを借りて、交代制でセッションのような形式を取った。ボーカル希望の人はセッションに入れないだろうという気配りから、課題曲が3曲ほど選定されており、ボーカル希望はその3曲を覚えてスタジオに入った。

レベッカの「フレンズ」「プライベートヒロイン」GLAYの「グロリアス」この3曲だった。リズムの感じも違うし、音域もわかりやすい。ボーカルがうまく入れなくてもバンドの音で曲が成立するところも良かった。



実は、マイクで歌うのはほとんど初めてだった。カラオケに何度か行ったことがあったが、カラオケはマイクの音量が大きい。スタジオでマイクを通して歌ってみて思ったのは「声が全然通らない」だった。歌ってるのに、かき消されてしまう。全然自分の声が聞こえない。音が取れているのかもわからない。


そんな中で、バンド経験者の女性の声はマイクを通してよく通り、一同をシンと静まり返らせる力があった。音は外したりしていたけれど、声の通りってすごく大事なんだと思った。


また、ドラムをやってみたいという初心者の女の子が来ていて、まったく叩けない状態だったが、とてもはかなげで美しい人だったので、周りの人たちが手取り足取り教えていて、やっとエイトビートが叩けるようになっていた。



わたしは「初心者枠」扱いで、上手なギターの人がリーダーをつとめるバンドに振り分けられた。ギターの人は今のわたしくらいの年齢だったけど、楽器を丁寧に扱うところと、初心者のわたしに親切なところが、すぐに好きになった。




…もう想像がついたと思うが、バンドの練習を重ねるたびに、わたしはこのギターの人を好きになった。

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好きな人の行動を見ていると、自分もやりたくなる。わたしは「ギターに興味を持った」と言い、その人にギターを一台貸してもらい、練習してライブで「ギター弾き語り」をしようと頑張った。

ギターを借りたかったというより、その人に会いたかったのだろう。貸したり返したりするのは会うためのいい理由だった。そして、当時はネットも今ほど普及してなかったから、電話したり会ったりしている時間以外は本気でギターを練習した。3か月ほどでコード弾きができるようになり、一日中下手なギターを弾きながら歌っていた。



ギターが弾けるようになる頃、ちょうど「合同ライブ」が行われた。もともとサークルのノリで集まったメンバーだから、それぞれのバンドが仲良くなっているのが再会してすぐわかった。メンバー同士で男女の付き合いに発展しているバンドもありそうだった。そういうにおいがした。


声の良く通る女性は堂々と椎名林檎を歌い上げ、ドラムが全然叩けなかったはかなげな美人は小さめの音だけどドラムをたたいている感じになっていた。

わたしはライブで声を張り上げて歌った。大してうまくないから褒められない。髪を二つに結んでムッチリした体で精一杯のおしゃれをしてステージに立った。やりきった感はあったけど、何か違うって思ってた。


ライブが終わって、バンドは解散した。ここから先はそれぞれ気の合う者同士で好きにバンドを組む…みたいな話になった。わたしにぜひボーカルを…と言ってくる人はいなくて、わたしのバンド生活は終わりそうになった。



そのライブの後、わたしはギターの人に「ギターを返すために」会った。ライブの日に返せばいいのに、名残惜しいとかよくわからないことを言って、向こうもその意味を知って、あえて後日会ったのだ。夜の新宿。お酒を飲むところでわざわざ会った。


個室っぽい居酒屋で、終電がなくなるまで飲んだ。当時わたしは新宿から1時間半以上かかるところに住んでいたから、終電はすぐになくなった。ギターの人は赤い顔で

「うち、泊まって行けよ」

と言った。そういうことなんだろうとお互いわかっていた。



新宿から数駅の都心に彼の家はあった。駅から歩いてすぐ。彼の部屋にはギターがたくさんあった。わあ、ギター…と言うひまもなく、ぶ厚い唇に口を塞がれた。唇の感触がゆっくりと左右に動いていくのに驚いた。キスってもっと、こう「チュっと」するものじゃなかったのか。こんなに「デロォン」とした感触なのか…と驚いた。粘っこい舌が口の中に入ってきたときも驚いた。ディープキスとは、本当に歯ぐきをなめるものなのだと驚いた。

その後の男の手の動きは、本で読んだ通りである程度心の準備ができていた。乳首を触られたら気持ちいいのはわかっていたし、恥ずかしくて恥ずかしくて、それでも声を出すものだということもなんとなくわかっていた。上手に声が出せなくて気恥ずかしかった。自分がどういうふうに見られているかばかりを気にしながら、人生で初めての愛撫を受けていた。


21歳で迎えた、初体験のチャンスだった。


初体験を済ませていないことがコンプレックスだった。乳首のあとで下を触られたが、とても短い時間で、気持ちいいと感じるより、ああ、粘膜のそこを触るのか…という感慨に浸っていた。わたしが想像していたより、膣の感覚は鈍感だった。あこがれていた性行為は、あまりに粘膜に依存しすぎているように感じた。


その後、指を入れられて、彼自身が入ってきた。彼は指がとても太かったから、彼自身が入ってきたときに、

「これは、どの指ですか?」

と聞いてしまい、「これは、お〇ん〇んだよ…」と言わせてしまった。人生の汚点とも言えるわたしの初体験だった。あんまり気持ちよくなかったけれど、いわゆる「膜が破れる」と表現される痛みもなくてホッとした。なんとなくゴソゴソと腰を振って終わった感じだ。




行為が終わって、ギターを返した。わたしは彼にまた会いにいきたいのだが、彼がなかなか電話に出ない。わたしに会おうともしない。どうにもならないので、家に行った。彼は居た。そして家には入れてくれずに、駅近くのお好み焼き屋にわたしを連れて行った。


彼はとても神妙な面持ちだった。とても、前回初めての性行為をした相手と思えないほど、なんだか遠かった。彼があまり食べないせいで、お好み焼きが少し焦げた。


彼は何杯かお酒を飲むと、こう切り出した。

「ドラムの女の子、覚えてる?   俺はあの子が好きなんだ」

ああ、あのはかなげで美人な子か…わたしは納得した。そして、わたしはなにも言わないのに、

「お前にしたようなこと(性行為のことだろう)もした。俺はあの子に本気なんだ。でも、あの子は俺に本気になってくれない」

知るか、と思った。アンタがおっさんで、あの子はあれだけの美人なんだから仕方ないだろと思った。それよりこのどうしようもない初体験どうしてくれんだよと思った。


しかしこの後、彼はわたしの人生を左右する名言を残した。


「お前さ、本気で音楽やりたいんだったら、俺みたいに歳取って、趣味として音楽やるしかない人間になるなよ。じゃマールじゃなくて、プレイヤーとかそういう専門誌の募集でバンド見つけろよ。スタジオのメン募もいい。あとボイトレはやっといた方がいい。楽器やるやつでもボイトレくらいやってるから、ボーカルならボイトレやってないと話にならないと思う」


「じゃマールじゃなくて」の部分が妙に生々しかった。




寂しい男の姿を見て、捨てられて、ボロボロのはずなのになぜかすぐに、せっせとボイトレに通い始めた。アホみたいにまじめに歌を勉強した。多分この頃から、悔しさややりきれない想いをバネにして伸びようとする性質はあったのだと思う。つぶされたカエルが飛び上がるみたいに、ぴょーんと別の世界へ跳ぶのだ。その初動は自分でも驚くほどに、早い。


CDを片っ端から聴いて、各時代の音楽を体にしみこませた。60年代の音楽が一番好きだと思った。70年代は音が多すぎる。80年代は明るすぎる。60年代の音楽の、あのせつない音色はいったい何なのだろう。音数が足りない分をコーラスワークでカバーするバンドが多くて、素敵だった。

わたしが愛した音楽については、明日もう少し深く掘り下げて紹介したい。本当に真剣に音楽を聴いていたから、いい音楽にたくさんめぐり逢えた。これは人生の宝物だ。


ちなみに、わたしが一番好きなアーティストは、今はもう天国にいる「オウズリー」というメロディメイカーだ。明日はYouTube貼るので、ワンフレーズだけでも聴いてほしい。あとはベン・フォールズ・ファイブ。


少し古めだと、ロネッツが好きになった。


音楽に心酔した。





彼とは二度と会うことはなかった。


だけどわたしはやがてクラブシンガーになり、音楽を仕事にするところまで行った。彼より先に進もうと思っていたから、そこまで行けたのだと思う。

 


わたしの初体験は、きれいでもなんでもないけど、結局その後の人生を大きく左右する出会いだったのだと思う。友達募集の雑誌で見つけたバンドだったけど、あの経験が無かったら、なんのドアも開かなかっただろうと思う。

普通だったら、恥ずかしい、無かったことにしたいような経験かもしれないけど、わたしにとっては人生を大きく前に進めてくれる経験だった。そして、じゃマールでも何でもいいから、手段を選ばず人と関わる道を選んで良かったのだ…と今でも思う。



あのはかなげな美人は、今でもどこかで女に嫌われているのだろうか。当時はあの「女女した感じ」がたまらなく嫌だったけど、今会ったらとても仲良くなれそうな人だと思う。本質はおなじなのだから。


「おまえ、ドラム下手だなw」
「うっせ、おまえも歌、下手だなw」


こんなふうにあの人と笑いあってれば面白かったのかもしれない。今、わたしの人生は面白い方へ面白い方へと向かっている。




そんな今だからこそなつかしく思う。あの不器用な20歳の頃の自分を。みじめなフラれ方を。失言してしまった初体験を。


性行為の気持ちよさには、それから数年で目覚めた。人生の面白さには、それからさらに数年たってやっと目覚めた。


性行為は没頭してしまうくらい気持ちがいい。人生はまばゆいくらいに面白い。わたしは今、なにもかもが楽しくて仕方がない。


今の自分を、20歳の頃のわたしに教えてあげたいけれど、何もわからずに切り開いて来たからこそ今が楽しいんだろうなと思う。


長くなったけど、わたしの初体験の話を書きました。



それじゃあ、また明日!



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