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接客業はつらいよ! かんどーのよもやま日記!

趣味はスポーツクラブでグループパワーに参加することと走ることです。仕事は接客業です。しばらく下ネタは封印します。

愛を語ります

生き方・働き方





今夜はただ愛についてだけ語ります。


愛って何でしょう? 身近な人をどんどん好きになっていく感覚。いやそれは単純接触の効果で警戒心がゆるんでいるだけ。

じゃあ周りの人に優しくできることが愛。いやそれは自分に余裕があるだけ。

それじゃあ何か特定の人からテレパシーのような非現実的なものが来てお互い好きになることが愛。



どれも少し正しいけど、ぜんぜん違う気がします。



わたしの話をしてもいいでしょうか。


家族が死んでも泣けないのに、飼っていた犬が死ぬとギャン泣きするわたし。家族<犬 だったわけではなくて、しあわせな家族の象徴がその犬だったから、犬が死んだ時わたしの中の幸せがぶち壊しになったと思って、いろいろ苦しくて泣きました。

親族の死にはうまく向き合えませんでした。いつもどこかで線引きして、深く関わらないようにしていました。彼らが死んでも泣かなくてすむように、一生懸命に距離を取って生きていました。この生き方が傷つかなくていいと信じて疑いませんでした。




ある時、15歳年上の男性と知り合いました。最初は打算だけで付き合いました。この男性と一緒になればわたしにも人脈ができるとか、「○○さんの妻」になれると思ってわたしから求婚し、結婚してもらいました。

結婚してすぐの頃は、夫の友人に会うことがわたしの誇りでした。誇りはすぐ音を立てて崩れました。話についていけないのです。同じ日本語を話す民族であっても、見るもの聴くものが違うと話の質が違うのです。集まりに出るたびに人嫌いになっていくわたしに、夫は「無理をしなくていいんだよ」と言いつづけてくれました。無理をしなくていい集まりを積極的に開催し、わたしが本当に人を嫌いになってしまわないようにたくさん、たくさん気を遣ってくれました。


二人の時間を大事にするようになりました。夫は少しずつ、着実にわたしに「適切な振る舞い」「適切な話題の選び方」「会話に困った時のアイスブレイクの仕方」を教えていきました。それらを大体覚えた頃、今度は英語を教えてくれるようになりました。どこへ行っても、どこへ出てもわたしが困らないようにしているのだとぽつり、言いました。


夫はわたしと結婚してすぐ、体の不調があらわれました。わたしはいやな予感がして、わたしのせいで夫の体が悪くなったのだと思い、自分を責めました。でも「そんなことはない」と夫は言い続け、心臓が苦しい時にもわたしの手を自分の胸に当て、「こうしてくれると楽になる」と言ってくれます。


わたしは夫の魂を吸い取ってしまっているのではないかといつも罪悪感に苛まれます。でも夫が元気になると、やっぱり大好きで、隣にいたいのです。いつか来る別れが怖くて、世の中のすべてに執着心が出てしまって、生きるのがつらくなりましたが、それでも夫の隣にいたいし、恩返しがしたいと心から思っています。出会った頃持っていた打算は全てなくなりました。夫が消してくれたのです。



打算で人と付き合うなんてもったいない。
好きな人とだけ付き合えばいい。
自分の話を好きなだけしたらいい。
人嫌いなら無理して人に会わなくていい。
歴史は学んでおいたほうがいい。
物事の進め方は知っておいたほうがいい。
格好つけた文章は書かないほうがいい。
あなたの好きなように生きればいい。



夫が死んでしまったら、わたしは身を引き裂かれるよりつらい思いで、しばらく立ち直れないと思います。想像しただけで号泣してしまいます。夫が体調を崩すたびに号泣です。そしてそのたびに「これじゃあ、まだ死ねないね」と言われてしまいます。病人に心配されているのです。


わたしの望みは、夫があと20年くらい一緒に生きてくれることです。もう6年も一緒に生きました。あと20年というのは高望みかもしれないと思います。でも、何とかそれに近い年数を一緒に生きたいのです。


わたしの一年はすごく短いです。仕事に追われた一年も、お金に追われた一年も、夢を追う一年も、海外を楽しむ一年もすべて短いです。夫と知り合ってから、年月が経つのがあまりに早くなってしまいました。


それまでは、いつも安定しないパートナーとの関係に頭を悩ませ、死にたくなったり相手を殺したくなったり、お酒ばかり飲んだりお金が無さすぎたり、一年が長くてしかたがありませんでした。いつになったら楽になれるのかと、そればかり考えていました。


それが、夫と一緒になってから、馬鹿みたいに毎日があっという間なのです。仕事が終わると早く夫に会いたい。一人で旅に出たときも、出張に出ているときも、いつも夫に会いたい。


愛することはこんなにも苦しく、こんなにも不自由で、こんなにも生に執着させることなのかと驚いています。


わたしにとって愛とは花火のような刺激的なものではなく、凪のような小さな波を描いて無限に広がる海です。しかし海は時に荒れ狂い、時に人を飲み込みます。凪が永遠に続かないことは理解しているつもりです。

それでも今夜も、夫ととりとめのない話をして、余白があれば映画を一緒に観て、余白のないときはただぴったりとくっついて一緒に眠るのだと思います。


世の中の人がみんなこうだとは思いませんし、決め付けるつもりもないですが、愛とはその人がいちばん好きな映画を観たときと同じくらいの感動をくれます。その人がいちばん好きな音楽を聴いているときと同じくらいの高揚と安堵をくれます。すべての娯楽の上澄みのような快楽の極みのような時間を過ごせます。そのかわりに、相手を失うことはすべての苦しみを集めて凝縮したようなつらい思いである、そんなふうに思うのです。


わたしは、夫と出会わなかったら薄っぺらな人生を送っていたと思います。泣きたいときに泣けなくて、かわいそうだったりドラマチックだったりする自分に酔い続けていたと思います。


わたしに用意できるものであれば何でも用意してあげたいのだけれど、なかなか夫を喜ばせられるものが用意できません。笑顔より泣いた顔や汚い顔を多く見せてしまいます。いつかもっと上手に生きられるようになったら、本当に夫が喜ぶことを用意してあげたいです。それができるようになるのが、わたしの夢です。




愛を語らせていただきました。
それじゃあ、また明日!

 

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